ホステルに同居していたリンというカナダ人のマダムは、農家を手伝う代わりに宿代が無料になるというアソシエイトに参加していたが、田舎なので余りにも暇すぎて都会のソウルを楽しんでいた。彼女がとても良かったと言っていたので、DMC(デジタルメディアシティ)というテレビ局が密集しているエリアに行ってみた。風景が変わらないので、全く土地勘が身につかない地下鉄ではなく、外を見ながらどの方向に向かっているか場所を確認しながら覚えることができる市バスを私たちは愛用していた。
彼女もそこには1度しか行ったことがないらしく、バスから降りた場所は何もないマンションが立ち並ぶ大通りだった。歩くこと20分ほど、駅前らしき賑やかな場所にでたが、デジタルなビルディングとは程遠い寂れた場末な感じの駅前だった。写真が無いのが残念… でもどこか懐かしく、英語はなくハングル語しかない食堂が建ち並び、おじさんが店の外のプラスチックのイスとテーブルに腰掛けて酒を飲んでいる。その光景は中国の裏通りでよく見るものと同じで、汚いけど温かみがあり、怪しさや怖さもある魅力的な下町だった。ワクワクしながら路地を歩いて喉が渇いたので、コンビニというよりは商店といった感じの店に入った。冷蔵庫の中には洒落たカフェオレなんかなく、コンビニでは見たことがないジュースがたくさんあって、駄菓子屋に来た気分でワクワクした。ぼくは三角錐の形をしたコーヒー牛乳を選んだ。彼女は何故かスニッカーズを買っていた… 喉が渇いたんじゃなかったのか?代金を払う時、堅いビニール性の三角容器をどうやって開けて飲むのかわからなかったが、彼女が「おばちゃん、開けて」みたいな事を言うと、おばちゃんはハサミでストローが入るギリギリの穴をスパッと開けた!いったい幾つのコーヒー牛乳をハサミで切って来たのだろう… 感心しながら駅の向こうへスニッカーズをかじり、とコーヒー牛乳を飲みながら歩いて行った。
その瞬間、記憶、この記事を書いているのはすでに地元福岡の実家の部屋に帰って思い出しながら書いているけど、こういう些細な、子供みたいな事をすきな人として過ごすのが何よりも楽しいし、思い出に残るのだと感じることが多い。
線路の下の長いトンネルを越えると、そこは別世界だった。まるで1980年代から2020年頃にタイムスリップしたかのように、写真のようなLEDを駆使した電飾、大画面ディスプレイ、ビルにそのまま映し出される映像。一つのビルにトイレに行くために入ると、色んなプロジェクトが見れるようになっていて魅了される。でも今思い出してもやはり古い街角の方が魅力的だったなあと感じる。
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