台湾:夜行バスで台北から台南へ

ネットで調べると、深夜のバスが台南へ行くのは安いらしい。何故、台南へ行くかというと、台南からホーチミンまでのチケットが安かったからだ。

土日まで宿の予約を取っておけばよかったが、仕方がない。土曜日と日曜日は、バス代も宿泊代も高くなるし、それたでも満室になるのだ。土曜日は特になにもすることなく、霧のような雨が降るのを見ながら、宿のウッドデッキに座ってタバコを吸っていた。フィリピーナ二人もいつもラウンジにいて、暇そうだった。彼女らは人が良く、自分のポテチを食べろ食べろと差し出す。ラウンジで、世間話をしながらお茶を飲むのも、なかなか楽しかった。夕暮れが近づき、プランの献立に迫られた。千と千尋でお馴染みの九份(ジウフェン)に行ってみるか、しかし日本人観光客が多いし、メシは不味くて高いだろうし、九份から台南までのバスは無いらしいし、ポジティブな事が浮かばない。考えた結果が悪かった。
小雨が降る中、タクシーに乗り込み、救急病院へ向かった。目当ては今夜の寝床だ。しかし、甘くはなかった。タクシーに150元支払い、領収書をもらうのを忘れた。フラフラしながら受付でパスポートを見せて急患として診てもらうが、ワキガの若いドクターは、淡々とマニュアル通りに診察しながら、頭と胸のレントゲン撮影による検査を行った。結果は入院する必要はない。薬をもらい、クレジットカードで10000円近く支払い、帰らせられた。クレジットカード付帯の保険でタダ飯タダ宿の計画は崩れたのだ。
自分の馬鹿さ加減にはもう、ウンザリもしなくなった。そして、必死に公共Wi-Fiを探し、バスでバスターミナルへ向かった。次の計画は深夜バスで一晩明かすつもりだ。

台北駅から歩いて10分ほどで、バスターミナルのあるQスクエアというビルへ向かった。そこは福岡のバスターミナルより大きなビル型のターミナルで、チケット売り場で2つのバス会社で悩んだ結果、ラグジュアリーなUバスの0:22発を選んだ。値段は土曜日なので460元。残金が乏しくなってきた。ターミナル近くのワンタン麺専門店で、ワンタン麺を食べた。ワンタンは水餃子のように具沢山で、麺も入っている。レンゲで特大ワンタンを掬って、醤油と酢を垂らしてすすり込むと、多幸感が襲ってくる。麺はすでにどうでも良くなってきた。スープまで飲み干し、再びターミナルへ戻って、人の少ないベンチで寝そべっていたら、警備員に注意された。待つ事2時間ほど、乗り込んだバスは、片側2列、片側1列のネカフェのような椅子にモニターがあり、映画やドラマが観れるが、誰も見ない。それがあるだけで満足なんだ。 iPhoneに椅子の横にあるUSB端子から、燃料を補給しつつ、深い眠りについた。

4時ごろ、暗くて誰もいない台南駅近くのバスターミナルに着いたようだ。フラフラしながら、コンビニでカップ麺を買って外で頬張った。もう少し寝たかったぼくは、近くに巨大な公園を見つけ、手頃な間隔の木を見つけて、メッシュ付きのハンモックをセットした。ハンモックは暑い地でも涼しく過ごせるように、背中がヒンヤリする。それは次第に風が吹くと寒くなり、耐えれないほどになってきた。日が昇るまでの辛抱だと思いつつ、耐えれなくなったので、ザックの奥にある寝袋を広げて潜り込んだ。やっとなんとか寝れるようになって、夢を見た。
それは、警察に追われる夢で、友達の家に匿ってもらっていたのだった。

遠くから中国語が聞こえてくる。ああ、ここは台湾で、自分は公園でハンモックでホームレスの様に寝てたんだな。と考えながら目覚めたのだった。
その日は日曜日で、朝から体操や太極拳に勤しむお年寄りが多かった。不思議な顔をして、何やら語りかけてくるが、わからない。そんな所で寝たのか?とか、虫みたいな奴だな。とかだろう。とりあえず、暖かくなったので、周りは気にしないで二度寝するぼくだった。目がさめると、昼の12時前だった。空腹を抱えて、ハンモックと寝袋をたたみ、ザックを背負って食堂を探しに歩いて見た。明け方とは打って変わって、都会らしくバイクが行き交い、騒がしくなっていた。大通りにある麺屋で昼食にする。その店は、汁の少ない縮れた麺に薄い豚肉らしきものが気持ち入っていた。テーブルにある味噌と、大豆の醗酵したスパイスと、ラー油が置いてあり、薄味だったのでどちらも入れると、絶品になった。50元(約200円)で朝食を済ませ、Googleマップで宿を検索してみた。宿が多く集まる場所は、三越があるような繁華街で、乾燥した暑さに耐えきれず、甘くて冷たい飲み物が欲しくなり、マクドナルドへ入ってコーラを注文した。それにしても台湾はどこでも英語が通じるので楽だ。結局、お洒落なカフェがある通りを見つけたが、宿は見つからなかった。ひとまず実家になりつつある公園へ向かった。
公園は人が多く、ムスリムのインドネシア人が、徒党を組んで公演に群れをなしていた。彼らはな中々の傍若無人ぶりを発揮していて初々しい。修学旅行中の不良中学生を思い出した。ぼくは、しばらく公園のベンチでボーッとしながら、人間観察をしていた。後ろの屋根のあるテーブルと椅子には、昼間から酒を飲んで大声で話している台湾人のヨレヨレの年寄りが屯していた。横のベンチでは、どうやらエホバの勧誘をしている台湾人の少人数のグループがいて、若い女性が多く、一人の30代の子連れの女性が笑顔で話しかけてきた。そのグループの中では一番の美人でスタイルも良く、インドネシア人の男たちも指を指すほどだった。私たちの存在理由と、世界が平和になるための秘訣がエホバの本には書いてある。というビデオを見せられた。我々の存在理由は、わかっていたし、世界が平和になる秘訣もわかる気がするが、実行するのが難しい。ただ、エホバの人達は皆、健康的で楽しそうだった。その公園の中が正に世界の宗教同士の関係と、格差社会が見て取れる。全ての宗教の根底にある、共通の思想は慈愛であると、ぼくは思うので、話しかけてきた女性に、今夜はどこの宿も空いていないので、ここで寝ると告げてみた。すると彼女は怪訝そうな顔をして、友達に聞いてみると言ってくれた。案の定、エホバの仲間は日本人の怪しいおじさんを自分の家に泊めるはずもなく、残念そうな顔をして帰ってきた。当然であるが、エホバの救いは仏教寺の慈悲には勝てないようだ。その晩は、日が暮れるとしばらくして、同じ樹の下にハンモックを吊るして長い眠りについた。

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