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カンボジア:プノンペン:キリング・フィールド(ポル・ポトの処刑場)の巻

キリング・フィールドとは、1980年代にカンボジアがポル・ポト政権時代にがクメール人を大量虐殺した、処刑場であり、余りにも多くの人骨が出土されるので、発掘をやめて博物館にしたものだ。プノンペンの中心地から約10キロ西南にある。サイゴンで出会ったリンと、シャルロットがオススメしていたので、行ってみることにした。入場料は、6USDと書いてあるが、解説のイヤホンは要らないと言えば、3ドルになる。

ポルポトとはカンボジアの地方に生まれた農家の子であり、フランスへ留学してインテリになり、共産主義グループに入る。そのグループは共産主義というより、民族主義、反王政だった。ナチスのヒトラーのように、ポルポトはクメール人の独立を望んで共産党に加盟し、12年間地下活動しつつ鋭気を養い、ベトナムや中国、北朝鮮を訪問して毛沢東思想を変形させて、クメール・ルージュ(カンボジア共産党)という武装組織を作り出し、1970年のクーデターとベトナム戦争に便乗して政府軍と戦い、1975年にプノンペンを占領して民主カンプチアという国名に変え、カンボジアを支配した。そしてヒトラーの如く、疑心暗鬼と被害妄想による殺戮が始まり、教師や医者を含めた200万人に近い人々を虐殺した。

ぼくとタクヤくんは、トゥクトゥク代15ドルをケチって、ヒッチハイクでキリング・フィールドへ行こうと試みた。
まずは1人1500リエル払って市バスに乗り、なるべく郊外に出る。そして、ヒッチハイク開始。まずはトラックが載せてくれた。トラックの荷台は日差しが強い。途中、バラック小屋が立ち並ぶ、バイク1台通れるほどの入り組んだ道に歩いて入り込んだ。建物の陰になり、涼しくて子供や犬や大人が結構いる。皆、貧しいけど元気に純粋な笑顔を返してくれる。淀んだ流れのない、真っ黒な川をチェンマイ以来、久しぶりに見た。硫黄臭がするが、耐えれないものではない。土が黒いから川も黒くなるのだろう。それが、工場排水ではないので、比較的キレイに感じる。流石に子供たちは川に入って遊んではいなかった。
プノンペンでのヒッチハイクは金を求める人も居れば、求めない人もいる。ヒッチハイクは容易にできると感じた。三輪のバイクトラックや、荷台が空の中型のトラックに、手を振って呼び止めれば、とりあえず止まってくれるので言葉はいらない。行きたい方向を手で指して自分と荷台を指差せば、あとは、お金がないよと身振りする。車3台ほどで目的地のキリング・フィールドに到着した。

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