7時に目が醒めると彼女はすでに起きていて本を読んでいた。私は昨夜寝たのは2時だったので、もう少し寝ることにした。8時ごろ目覚めてボーッとし、トイレに行くと彼女は待っていたように「朝食食べに行く?」と言った。そして5階分の階段を登り屋上のレストランに行った。少ない何組かのが欧米人が朝食を食べに来ていた。平均年齢が高く、クララは一番若いように見える。そしてドイツ人が一番多く、次にフランス人だった。日本人や韓国人はいない。宿泊代に込まれている朝食はビュッフェスタイルで、ガーリック焼き飯、焼きビーフン、キャベツのサラダ、目玉焼き、さきイカ?、デザートはスイカとココナッツタピオカ入りわらび餅。味は辛くなく塩加減も良く美味しい。食事していると、前の日ミェイクの郊外で声をかけたドイツ人女性三人が声をかけてくれた。私と彼女たちは同じ歳くらいだとわかる。
食後にタバコを吸いに景色が見える場所に移るとフランス人カップルが喫煙しに来た。喫煙所にはフランス人がいる。英語が片言の彼らの仕草が好きだ。そして一人旅のフランス人女性に声をかけてみた。同じルートでミャンマーを北上するらしい。彼女はクララとは正反対で気が弱く怖がりな日本人タイプだった。男性と接するのもあまり慣れていないようだ。やはり隣同士の国では英語でも簡単に通じ合えるようで、クララとその子が話していると楽しそうだった。
私たちはクララが以前ダウェイを訪れた時に知り合ったロシア人とフランス人の夫婦が経営するカフェを訪ねた。そのカフェは日本で流行っているスタイルであり、フランス式のエスプレッソが1500チャットで飲める。通りに面した小さなテーブル席に座り、二人は会話で盛り上がり、私は蚊帳の外だった。
宿に戻り、今後クララにどうするか聞かれたがわからない。もう一泊するなら同じ部屋に泊まろうと言われ、私がしないなら彼女はフランス人の子の部屋に移ると言う。私にはもう一泊するには部屋代が高すぎるが、もう一泊するべきだった。彼女たちはカフェの主人お勧めのビーチへ行くバイクを借りてと言う。決断を渋っているとどんどん置いていかれる。そして、チエックアウトして、彼女たちはバイクを借りて二人でビーチへ行ってしまった。私にビーチでキャンプすると良いと言い残し、後で会おうと言った。残された私は更に決断を迫られたが、良い案が浮かばないので、荷物を持ってヒッチハイクで後を追うことにした。
一台のバイクが乗せてくれて、目的のビーチまで半分の距離まで行くことができたが、そのビーチまでは30kmほどある。人気のない道を歩いていると、クララたちが笑いながら後ろからやってきた。彼女たちをヒッチハイクする羽目になったが、三人乗りでしかもすぐに未舗装路になった。悪路を三人乗りは不可能と思い、すぐに降りてまたヒッチハイクで後を追うことにした。ビーチまでの近道はかなり悪路の未舗装路で、二人の若者が二台のバイクでビーチまで送ってくれた。途中彼らの家に立ち寄り、スタミナドリンクをご馳走になった。
ビーチに近づく途中でクララ達のバイクに追いついた。彼らは私をビーチまで送ってくれた。そのビーチはとてつもなく広く見渡す限り何もない。軍用地のようで店も宿も何も無い。ただ砂浜が永遠に広がっている。クララたちは嬉しそうにビキニになり、早速泳いでいた。私はここでキャンプするのかと戸惑いつつ、取り敢えず服を脱いで海に入った。水は冷たくなかったが無いが思ったよりも外に出た時が寒い。風は緩やかだが、浜なのである程度の風がある。前回の浜キャンプの時に風がなかったのは奇跡だった。いや、浜が狭く木がたくさんあったからだろう。今回は木さえない。西日を浴びながらテントを出してポールを通すが、テントが風を含んで凧のようになり、思うように建てられない。風のない窪地を場所を探したがゴミが多い。しかもあまり風避けにはならない。クララが「何か手伝おうか!?」と声をかけてくれたが、風が強くて建てられないと言いながらテントを片付けた。クララは心配そうにしたが「他の場所を探すか、駅まで行ってテントで寝るよ」と言うと、二人ともそそくさと帰っていった。クララとは片手だけの軽いハグをして。私とクララの間には溝ができてしまったのは当然のことだった。
真っ直ぐな何もない広い平坦な身舗装路を荷を担いで歩きながら、少しセンチメンタルになったが、すぐに後ろから来たバイクのおじさんが乗せてくれて、気を取り直すことができた。その後、3人の若者が二台のバイクで通りかかり、仕事からダウェイの街まで帰るところを乗せてくれた。
その直線道路は凹凸こそないが、砂埃がひどくて目が開けられないほどだった。1時間以上かかってやっとダウェイの街にたどり着いたときには、全身砂だらけで茶色くなっていた。喉が渇きとりあえず顔や手を洗いたかった。降ろされた場所でタクシーの運転手が待ち受けていて、5000チャットで駅まで行くという。そこから鉄道の駅までは5kmほどだろうか。鉄道のチケットが2000チャットだと、5000チャットが高い気がする。朝早いから駅で寝るとそのタクシーの運転手に言うと、うちで寝たら朝送ってやると言う。見るとそこには天井の低い小屋的な家がある。やっぱり駅で寝るし金がないと言う諦めたようだ。
その後、別のタクシーのおじさんがタダで駅まで乗せて行ってくれた。途中、クララと泊まった最高の宿を通り過ぎると、したたか残念さをそこに残した。
ダウェイの鉄道駅は街から離れた山の中にある。到着したのは21時過ぎだった。駅の周りは真っ暗で、建物は黒く煤けていて、ゾンビでも出てきそうな、まるでホラー映画かお化け屋敷のようだ。あたりには数件の店があり、食堂でモヒンガーを食べた。駅の構内には2人の若者が始発を待っていたが、彼ら以外は見当たらない。仕事を終えて帰るところの駅員に、イエまでの値段を尋ねると一番安いクラスは2000チャットで、二等が4000チャットだと言う。朝4時半にチケットを買うことができ5時に出発する。駅で寝ていいか尋ねると、構内で寝て良いとのこと。
早速、砂まみれのテントを広げて中に潜り込み横になった。床はコンクリートで冷たいが寝れないほどではない。気温も20度以上あるようだ。改札口は無く、その駅から線路が始まっている。
テントで横になっているとやはり硬い床だと尻と足が痛くなってくる。上半身はパーカーを着ているので幾分マシだが中々寝苦しくてマットが欲しくなる。外からは到着した人たちの大声で話す声にリバーブが効いてうるさい。どうやら駅には二階があり、そこで数人寝ていた。下の階はバイクの駐車場のようにっていたが気にしない。夜も更けてくると誰も居なくなり、疲れていたせいか、朝までぐっすり寝ることができた。
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