列車に乗り遅れる夢を何度か見て、1日一本しかない列車を待つ羽目になる。
気がつくと丁度4時半前で外が騒がしくなってきた。アラームなしでも十分目がさめる。ゆっくりテントをたたみ、チケットオフィスに行き、係員にパスポートを見せ、オーディナリーか二等席か尋ねられる。迷わず2000チャットのオーディナリーを選び、手書きでチケットを書いてもらった。
真っ暗なホームに黒いミャンマー人が集まってきて、日本の公園にでも飾ってありそうなボロボロのディーゼル機関車が到着していた。客車も同じく真っ暗で携帯のライトで中へ入り、照らしてみると、肝試しを思い出した。しかし不思議と怖さはない。真夜中に廃墟の中に入ったような感覚だ。シートは向かい合わせの樹脂製でかなり硬い。4両しかない車両の隣の車両には一旦外に出ないと行くことができない。二等の車内を見てみたくなり、一旦外に出て中を見てみると、古いがクッションのあるシートでリクライニングできる。あわてて、オフィスに戻り二等に変えることができないか尋ねたが、キッパリとNOと言われた。切符は発行されたので、買い改めるしかないようだ。これも導きだと覚悟を決めて硬い座席に腰を据えた。
定刻通り列車はゆっくりと動き出した。乗客はそれほど乗っていない。私の前にも横にも誰も座っていない。シャツの腕にミャンマーポリスのワッペンを貼った警官らしき数人が、乗客の管理をしていた。その中のボスらしきおじさんは見たことない型のライフルを持っていて、若い警官が二人はしゃいでいた。
動き出した列車は山の中を進み、かなり揺れる。どういう線路を作ればこんなに揺れるのかというほど、日本の列車に比べると揺れる。そして寒い。気温は17度ほどだが、風が開けっ放しの窓から入るとかなり寒い。慌てて窓を閉めたが寒い。スニーカーにジーンズ、パーカーを着ているが寒いのだ。長袖のシャツをもう一枚中に着ようか迷うが、汚したくなかったので我慢した。
隣のボックスにいた警官はニット帽を被り、ゴザを敷いて横になり毛布を被って寝た。車内を見ると皆横になって寝ている。私も同じように荷物を肘掛に置いて背もたれを作って狭いシートに足を上げて寝た。しかし揺れが酷くてすぐに起きてしまう。だけど、何分間寝ることができたようだ。
次第に外が明るくなり始めてきた。山の中を突き進む列車は時折伸びた竹を弾き飛ばすガリガリという音を出す。線路沿いの草を刈ったりしていないので、窓を開けていたら笹の葉や竹の葉が車内に入ってきたり、枝で顔を叩かれる事になる。トイレはあるが直に線路に落ちるタイプで水は出ない。確実に顔や服が砂や埃で汚れてきて洗いたくなるが洗えない。洗うための大きなペットボトルを用意した方が良い。
7時頃になると皆起き始め、靄のかかった山から朝日が昇り陽光の木漏れ日が美しい。掘っ建て小屋のような小さな駅に止まり、果物や食べ物を頭に乗せた地元の女性たちが車内に乗ってきた。アジア列車ならではの車内販売員だ。ちょうど空腹になってきたところだった。私は鶏のモツ煮込みとご飯を買った。高菜のような漬物がついていてスープまで付いていた。値段は確か1000チャット。量はやや少なかったので若い警官お勧めの麺を選ぶと、物凄く不味かった。油漬けのやせうまのようなものでとにかく塩辛い。その若いドヤ顔の警官の舌は檳榔で壊れている。そして買っていたヒマワリの種をカリカリ食べながら窓から殻を捨てて列車の旅を満喫するのだった。
窓の外の景色は相変わらず山の中で、時折茶色の小さな人道が見えたり、竹林があったり、バナナの木があったり、小さな沢があったり、小さないくつかの駅があったりして楽しませてくれる。
いつのまにか、前の席には小太りの女性が座り、横になってずっと寝ていた。若い警官は制服を脱ぎ、ヨレヨレのTシャツ姿になってはしゃいでいる。おじさんの警官二人も暑くなって上着を脱ぎ、スマホの対戦ゲームに夢中になっているのが微笑ましかった。斜め前には若いカップルが仲良く座っていて、前の席にインコを2匹離してアワかヒエの餌をあげているのも車内を和ませた。外国人は自分だけのようだった。もしかして楽しいのはこのオーディナリー(最安席)で正解だったのかもしれない。
とにかく喉がカラカラだった。そしてザラザラになった顔や手を洗いたかった。売り子のおじさんに1.5リットルのミネラルウォーターの値段を聴くと400チャットだと言う。水を買った事がなかったので驚いた。ホテルやヒッチハイクで皆ミネラルウォーターをくれるし、ミャンマーの街中にはどこにでも無料の水が置いてあって飲めるからだ。その若干冷たい水で喉を潤し、おそらくヒマワリの種で汚れた手を洗った。
しばらくすると、路面は平地になり、家が多くなってきた。そして目的地であるイエの街に着いた。水を買うのをもう少し我慢すればよかった。
列車から降りると目の前は並んだ列車で塞がれている。大きく迂回するのは面倒なので、その列車に乗り込みホームへ出た。中々大きな駅だがダウェイよりはである。改札口も無いのでそのまま街に出ようとすると、「タクシー!?」と声をかけてくる運転手たち。「金がないから歩いていく」というと簡単に諦めてくれる。
時間は午後2時でとても暑いし、日陰があまりないところへ便意が襲ってきた。街の中心は結構遠い。汗だくになり、カフェに入るがトイレがないという。大きなホテルを見つけて部屋は空いてないか尋ねると満室だと言う。トイレを貸して欲しいというと、快く使わせてくれた。高級感あるトイレでゆっくり用をたす事ができ、顔や首や足元も洗ってスッキリした。
そして川の方へ歩くと金の市場があり、その手前にオフラインアプリでゲストハウスの表示があったので探してみた。ミャンマーはインフレでチャットが紙屑同然になった事があり、皆資産を金に変えるから金を売る店が多くある。そのゴールドマーケットの端にいかにも安そうな宿を見つけたのだが、外国人は泊まれないと断られた。ミャンマーは中国のように外国人を泊めるには免許が要るらしく、そんなに多くのゲストハウスやホステルが無いのだ。
疲れ果てて市場の中の茶店でコーヒーを注文した。外国人が店に入るとそれまで客が汚して汚かった床を掃除しだすのは、ラオスやタイの田舎でも同じだ。埃が立つからやめて欲しいのだが恥ずかしいのだろう。一息ついたので次の宿を探すことにした。地図を見て探すのは疲れるが、新たな発見もあるものだ。
随分歩き、大きな池の周りに一軒のゲストハウスを見つけた。受付には子供しかいなくて、値段を聞くと一泊15000チャット約1150円だと言う。先ほど聞いたホテルが30000だったので半額ならいいかとそこに決めた。通された部屋は一階の奥でエアコン無し、水シャワー、蚊多しで、値段の割にあまり良いとは言えない。取り敢えず汚れまくった服を手洗いし、押すだけベープで蚊を全滅し、冷たくて気持ち良いシャワーを浴びて裸のまま一眠りした。
1時間ほど寝ただろうか、4時ごろになり涼しくなってきたので辺りを散策してみた。池は大きくて周りに何個かの寺がある。日本にもありそうな観光地のようだ。そして一軒の麺屋に入ってみた。並んだ数種の米麺を指差して一つとジェスチャーで注文した。隣の席の女性二人に聞くと、そこはタイ料理の店で、出てきたのはいつもラオスで食べていた味の素味のフォーだった。そして外国料理だから少し高いのだ。納得いかないので、川の方へ歩いた。日は暮れかかり、椰子の木の間に沈みかけていた。川を見るとゴミで汚い。市場から出たゴミをそのまま川へ投げ捨てるからだ。そのゴミを漁る犬。ミャンマーの田舎にはゴミ処理場なんか無い。ガスもないから炭を使っている。ゴミを川に捨てるのはしょうがないのだが複雑な気分になり、考えさせられる。
市場を皆の好奇の目線を受けながらローカルな麺屋さんに入った。外国人旅行者はイエでは見ていない。そこの火を使わない汁無し混ぜ麺がとんでもない旨さだった。汁無し混ぜ麺はミャンマー語でカオスエという。いろんな具材を少しずつ混ぜるのだが、なんの味がわからない。だが、麺は生パスタでソースは濃厚な魚介のような濃い味がありトロミがある。もちろんフライドガーリックと、フライドオニオンが良いアクセントになっている。
宿に戻ると、やっと大人の姿を見つけた。ヤンゴンまでのバスの値段を電話で聞いてもらい、時間を確認した。ヤンゴンまでは1050チャットで夕方6時に出発する。ヤンゴン着は朝の5時なので約12時間のナイトバスになる。5:15までに2キロ先西のバスターミナルへ行かなければならない。
宿の子供は3人いて男の子2人に女の子1人で受付の英語はできるが、それ以外は難しいようだ。皆小学5年生くらいだ。女の子はショートカットでヨージヤマモトのTシャツを着ていた。知らずに手に入れたようなので、「それは日本の有名なデザイナーのTシャツだ」と教えてやると、兄が横から「おれのだったがあげた」と言っていた。明日から自慢げに着て欲しい。
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