リトルヤンゴンホステルでの南京虫との格闘は無かった。昨夜はドイツ人のカートと裏の通りのバーへ行き220チャットで2杯のタイガー生ビールを生演奏を聴きながら飲んだ。生演奏の二曲目がマジックウーマンで、三曲目が長渕剛の乾杯だったのには驚いた。その後、酔っ払いに声をかけられ宿へ戻ると、フランス人やドイツ人らでウイスキーを飲んだり葉巻を回したりで楽しみ12時には寝た。何が功を成したのか、エマージェンシーシートなのか、Deetの虫除けなのか、その日は南京虫にやられることはなかった。いや、酔っていて熟睡したので気づかなかっただけかもしれない。結局、南京虫対策のインナーシーツも、バンコクで作った防護寝袋も役に立たなかった。南京虫は服の上からでも刺せる強力なクチバシを持っているからだ。そして、よく調べるとDEETを使った虫除けスプレーと、ジクロベンゼンを使った防虫剤が効くと言う事になった。次回はプレパラを持って行くべし。
36番のバスで北へ行き、バスターミナルまで行ったのだが、タイ国境の町ミャワディまでは最低15000チャットだと言う。どう考えても高すぎる。イエからヤンゴンまで10500チャット。宿でミャワディまでのバスを予約すると12000チャット。宿は手数料を絶対にとるから本当は10000チャットほどだろう。そして外国人が納得するレベルのバスなのでそのくらいするのはわかるが、バスターミナルまで行って一番安いバスが15000なのはおかしい。ターミナルにいる人間が信用できなくなった。ミャンマーでは、移動する場所に行くと必ずガイドが声をかけてくる。コートーン の50バーツを200パーツと言うガイドを考えると、しつこく付きまとうガイドは4倍の価格を吹っかけるに違いない。ヤンゴンでは更に高く言うだろう。私の予想ではバスは最低2000チャットからだと思うが見つけることができなかった。
ヤンゴンの列車は日本の中古だった
ヤンゴン環状列車社内 ヤンゴン環状列車は日本の中古車両
仕方なく環状線の列車駅まで2.5キロほど歩いた。交通量の多い道路を排気ガスを吸いながら歩き、閑静な住宅街を抜けるとノンビリとした北側の始発駅についた。かなりノンビリしている。30分ほど待つと列車が到着して若い坊さんが優しく導いてくれたので彼の隣に座った。すると大量の野菜を担いだおばさん達が乗ってきて、イタリア人老夫婦とデンマーク人老夫婦も乗ってきたので少し話した。イタリア人の奥さんはニコニコしていたがNikonのカメラで断りもなくバシバシ写真を撮っている。まるで中国人のツアー客のように。人には肖像権があるという事を完全に無視しているか、ミャンマー人を人と見なしていないかだ。まるで動物を撮るように。旦那は日本の金閣寺の写真を見せてきた。タージマハルやアンコールワットの写真のように。列車はユックリとユックリと南に向かう。次第に人が多くなってきたが立っている人はいない。
ヤンゴンから列車でタトンへ
そして今、ヤンゴンの駅で列車を待っている。ミャワディまでの列車はないので、途中のタトンと言う駅で降りようと決めた。そこからはヒッチハイクかバスだ。列車はヤンゴンからタトンまで4時間。午後6時に初なのでかなり時間がある。今回距離が短く120キロほどなので、アッパークラスに乗ってみようと思ったが満席だったので仕方なくオーディナリークラスを取った。値段はアッパークラスが3200チャットでオーディナリークラスが1700チャットだった。バスに比べると半分の距離だがかなり安い。やはりバスでミャワディまで2000ではないが、4000から8000ほどだと思う。
駅の外の屋台でベッタリした安物の汁なし絡め麺を500チャットで食べ、足りないので隣の店の小さな机と椅子で、ゆで卵ヒンを1200チャットで食べた。
駅で時間を潰すことにするが、待合所はゴザを敷いて寝てる人もいるがインドほどの人数ではない。
ヤンゴン駅前 駅前で鳩を呼ぶひと ヤンゴン駅待合所 ヤンゴン駅VIPルーム ヤンゴン駅VIPルーム ヤンゴン駅待ち合い所 ヤンゴン駅ホーム ヤンゴン駅の車窓から ヤンゴン列車の客
文字が読めないが直感でVIPの待合室で待てる気がした。欧米人のおじさんがが一人と数人のサンダルを履いていないミャンマー人がいた。アッパークラスのチケットだと入れる部屋だと思うが、その部屋だと荷物を置いていても安心なのだ。後で気付いたがその部屋には洋式のトイレもあり、ワザワザ遠くの有料で絶句するトイレに行かなくても良かった。途中で荷物を運ぶポーターからチケットを見せろと言われたが、日本人だと言うことで丁寧に扱われたようだ。列車が来たら教えてくれるらしい。ここで待てと言われた。ここでは欧米人や日本人は人間のレベルが高いのか。いや、違った。彼は「親切の押し売り」すなわち、勝手に荷物とチケットを持ってスタスタと歩き、教えてもらわなくてもチケットを見て探せる車両と座席番号を探して、荷物を網棚に乗せて金を要求するという、極めて悪質なチップ狙いの詐欺師だ。コートーン の港でもパスポートを持ってスタスタと行ってしまうガイドオバちゃんと同じだ。チップ文化のある国ではしょうがなく払いそうだが、後味がすごく悪い。私はそんな詐欺まがいの輩が大嫌いなので「I don’t order to you」(お前に頼んでいない」と言う。すると「なんだこいつ」みたいな目で見られて立ち去った。ミャンマーでは移動する場所に沢山チップ狙いの英語が若干話せる輩がいるので気をつけよう。
私と向かい合わせの席にはMCハマーに似たビジネスマン風のおじさんが座っており、いきなりの外国人の登場に少し戸惑っていたようだ。荷物が網棚から落ちないように肩紐を網棚に固定してくれたりした。本当の好意とチップ狙いの区別は大変難しい。なので、状況と人相を見て判断するしかない。
早速、ヤンゴンで買った蛇腹のスリーピングマットを椅子に合わせて適度に広げると、良い感じのクッションになった。これで尻の皮が破けないだろう。
列車は定刻通りユックリとガタンゴトンと音を立てて走り出した。
閉めても風が吹き込む窓から外を眺めると、ちょうど夕日が沈み、線路から見たヤンゴンの街を見ることができた。
それは余りにもゴミだらけで、バラックが建ち並び、バスからは見ることのできないひどい光景だった。線路沿いはうるさいので、貧困者たちの住まいが並ぶことになる。
前のおじさんは、緊張に耐えられなくなり、隣の席の夫婦と話し出し、隣の席に座った。私は窓の外を眺めながら銀河鉄道のような気分に浸っていた。
硬いFRPの座席に脚を上げて頭を背にもたれかけると、激しい横揺れに耐えれるようになって心地よく、眠りにつけた。
列車は快速らしく、いくつもの駅を通り過ぎて、ある駅に止まった。二人の若者が隣の席に座ったので、おじさんはこちらの席へ戻ることになったが、今度はその若者と話すがギャップがあるので長く続かないし、ミャンマーでも年上が相手だと緊張するし尊敬しなければならないのだろう。若者は口数が少なく大人しかった。
列車の旅は長いので時間を持て余す。暇になると会話するのが一番なのだが話のネタも尽きてくる。そうなると、外国人に興味が出てくるし緊張もほぐれてくる。
身振り手振りでおじさんは色々と気を使ってくれる。「脚をこちらに上げると良い」と言ってくれるが、私は遠慮しておじさんと同じように胡座をかいた。胡座をかいていると着ているロンジーが袴のような気分になる。そして刀を抜くフリをしてサムライの真似をしてみたが、うまく伝わらなかったようだ。隣の席の奥さんは興味津々でこちらを見ている。この日本人は何をしているか問題を投げかけるのだ。皆暫く沈黙してその仕草について考える。そして出た答についてあれやこれや話して盛り上がる。私には何を言っているかわからない。そうしてこの日本人は面白いと安心感を与える。
日が暮れて吹き込む風が冷たくなり、車内は冷えてきた。私は我慢できずにザックからパーカーと下着、ジーンズと靴下を引っ張り出し、ロンジーをまくってパンツを履き、ジーンズを履こうとするが、皆の視線のマトだった。下着を履くときは皆目を背けてくれた。
隣の若者はロンジーの下にズボンを履いていてロンジーを頭に巻いて首にも巻き、寒そうに丸まっていた。おじさんはフード付きフリースしか持っていないようだ。皆狭い座席で丸くなって寒さに耐えながら眠ろうとした。
各駅から販売員が乗ってくる。そして私たちの前にも若者が二人座った。20代そこらで、一人は男前で突っ張っている感じ。一人は可愛くて座るなりずっとゲームをしている。私とおじさんはチケットの指定通りに横並びに座ることになった。
ミャンマー人は小柄なので脚がぶつからないが、四人席に四人座ると私は大柄なのでとても狭く感じる。
いま考えると気づいたのだが、若者はミャンマー人のおじさんに緊張していたのではなく、外国人の私に緊張していたようだった。面接のようにガチガチなのが伺えた。
ミャンマー列車のオーディナリークラスは進行方向の窓際に座ることは、昼間の暑いときは良いが、夜はかなり冷え込み、まともに一番風を受けて最悪の席なる。窓はアルミ製で隙間が空いているので虫も沢山入ってくる。座席してができるかわからないが、前もって予約する方が良いか、チケットを買うときに通路側の進行方向と逆の席をスマホのメモ帳を使って指定すると良い。ヤンゴンからのチケットは当日買うと満席だということがわかった。
夜はふけてますます寒くなってきた。前の席の若者はタンクトップに半ズボンだったが、大きなブランケットを持っていた。それを二人で使い向かい合って座り、頭からブランケットに包まるのだ。私も真似をしてロンジーを頭から被って、空いている部分を手で摘んでみた。すると風が入ってこなくなり、呼吸でその袋の中は暖かくなるのだ。おじさんは胡座をかいてフードを被ってひたすら耐えている。どうやらブランケットを持っていないようだ。皆荷物が少なくカバン一つだったりリュックの中はブランケットとロンジーだったり、かなり身軽だった。私はテントやマットや着替えなどで荷物が多い。しかし、欧米人のバックパッカーに比べるとかなり少ない。
おじさんの緊張は完全に解れたようだ。私とは短い時間で長旅の仲間のような一体感を感じた。おじさんもどうやらタトンという同じ駅で降りるようだ。各駅に着くなりその駅の名前を教えてくれた。おじさんはインド系の色黒さと顔立ちをしていて額にヒンドゥーの証である印を付けていた。インド人の仕草と同じで懐かしのインドを色々と思い出した。好奇心旺盛で人が良くて優しくて硬派で子供みたいな紳士なのだ。
ミャンマー男性は皆、子供のような心を持ち、昔のお父さんのような気質があり、安心感があり包容力があると感じた。本気で他人のことを心配してくるので少々ウザったいが、それも親心の優しさなのだ。
前の席の男前の若者が、友達の頭に巻いた包帯が取れたので丁寧に直してやっているのをみて感動した。まるで恋人同士のように肌を触れ合い、優しくしている。ホモとかゲイとかではなく純粋に友達の愛情があるのだと、日本人の私には考えられない衝撃だった。これもバスでは絶対見られない光景だった。
時間は7時を回り、少し空腹だったちょうど良いところへ頭に大きなお盆を乗せた売り子がよく通る声で何か言いながら来た。見てみると揚げ物で一つ300チャット、黄色いサフランライスのようなものが100チャットだったので買ってみた。葉っぱに乗った黄色いライスの他に香り付けの何か植物が乗っている。恐る恐る食べれるか食べれないかそれを食べてみると、食べれるようだった。それを見ている視線を感じた。隣の奥さんにかなりウケていたいたようだ。揚げ物は数種類あったが、小エビのかき揚げをもらった。思った以上にガチガチに硬くて、パリパリというよりバリバリだ。それらを交互に食べて平らげた。皆買いたいけど我慢しているのか、いやあまり美味しくないのを知っているのか、わからない。おじさんはリンゴが食べたかったようだが、良いリンゴではないと見定めて買うのをやめた。瞑想センターで食べたリンゴが非常に不味かったのでそれ以来リンゴには手を出さない。
後ろの席や前の席の人たちが下車していった。すると席が空くのでそこへ四人の一人が行く。すると私も脚を上げて寝れるようになった。ロンジーに足までスッポリと包まって寝ることができた。肩を叩かれて起こされた。おじさんは乗り過ごさないために寝なかったのだ。駅の手前で「もうすぐ着くぞ、待て」と手で合図した。まるで忍者のように。
隣の席の窓際の若者は愛想が良くてとても良い人だった。目が会うたびに笑顔を返してくれる。彼も緊張が無くなったようで、おじさんの隣に座って笑顔で話していた。
列車の出口に向かって、下車する者が並んだ。私とおじさんと、隣の若者二人だった。車内は床にゴザを敷いて寝ている女性もいてインド列車を思い出した。すごい光景だ。私たちの向かい側の若者二人は嬉しそうに四人席を二人で使い、ブランケットをギリギリ届くように二人で包まった。
停車時間が短いと降りれないのか、「もうすぐ止まります!」「ヨシ、止まったぞ降りれ!」という感じで急いで降りた割には、停車時間は5分ほどあったようだ。
「私は駅で寝る、ありがとう」と言い、おじさんと固い握手をして私たちはそれぞれの道へ立ち去っていった。
駅はそれほど大きくはなく、寝れるような屋根のある床がコンクリートのスペースもあったが、汚い。
時間は午前2時過ぎ、駅の外に出てみたが、小さな集落と言ったところだ。ユックリとテントを張り、寝ていると我慢できないほど寒くなってきたのでエマージェンシーシートをブランケット代わりに掛けた、エマージェンシーシートはかなり暖かいのだ。お陰で周りがうるさくなる朝まで寝ることができた。
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