ミャンマー、タトンから国境の町ミャワディ

タトン鉄道駅

犬たちが吠えてうるさい。ミャンマーからタイの一番大きな国境への分岐点の街、タトンの駅にテントを張り、7時ごろに目覚めた。

テントをそのままにして、辺りを歩いてみると、ボロボロの小屋の店先の小さな椅子とテーブルでコーヒーを飲んでいるおじさんに挨拶したが、不思議そうな顔で見られた。確かに外国人が立ち寄る場所ではないからだろう。

朝飯を探しに店に入ってみると、お爺さんが英語で「どこからきたのだ?」「日本だ」というお決まりの会話をして、「ミャワディまでのバスはいくら?」と聞くと「8000だ」との事だった。何が本当なのかわからなくなってきた。ヤンゴンからここタトンまで列車で1700、ヤンゴンからミャワディまでバスで15000。と言うことは、宿でSさんに聞いた12000というのが間違いなのか。

とりあえず、駅の前の汚い茶店でカオソイを頼むと、トムヤムラーメンが出てきた。葉巻を50で買って一服し、テントを片付けて駅を後にした。

のんびりして、綺麗に整頓された街を歩き、南へ向かう幹線道路に近づくにつれて荒れてきた。ミャンマーでは鉄道はもう廃れていて幹線道路沿いが発展している。ミャワディへ向かう交差点からヒッチハイクを試みようと向かうにつれて、猥雑になってきた。大きなパゴダがあり、その前にバスターミナルがある。大型バスは無くてトヨタのプロボックスが並んでいる。客引きが声をかけてきて、ミャワディまでは10000チャットで助手席だという。高いと言うと、8000まで下げてきた。8000が相場のようだ。列車の価格とバスの価格の差が理解できなかったので、ヒッチハイクをするために歩いた。途中、茶店で100チャットのサモサを三つ食べ、トイレを借りて休憩し、更に歩いた。

ミャワディへの道は車が少なく、バイクが多い。しばらくすると、トレーラー付きのバイクが止まってくれて、少しの距離を連れて行ってくれた。

更に何台かのバイクに乗り、心配してくれて世話を焼いてくれた人が、高速道路の料金所で降ろしてくれた。そこでバスに乗れとの事だった。

降ろされた料金所には、18歳か19歳の制服を着た男の子が一人、机に座った女の子が二人、事務所の箱の中に40台代の女性が一人いた。

料金所は素通りする車やバイクが多く、500チャットを走りながら投げ捨てる者もいた。男の子はそれを受け取る係で、女子はナンバーをチェックしていた。

皆、美しい笑顔で接してくれた。一人の女の子は大学を出たようで英語が話せるようだが、恥ずかしがっていた。自分のヒッチハイクの説明を英語でするがあまり理解できないか、理解しているが法律でダメなのか、バスを捕まえてやるから待てと言われた。

若い娘と話す機会もなかったので、待つことにした。「なんの仕事をしているの?」「ウェブデザイナーだよ」「ああ!だからオシャレなんだ!あなたのスタイルはステキね」「ありがとう、君の笑顔も美しい」そして嬉しい恥ずかしで皆に自慢して盛り上がる。色々と話をしていると、向かい側の料金所にいた30代の女性も照れながら見に来た。どうやら皆モン族のようだった。2時間ほど待って大型バスが通ったがあっけなく断られた。数台のミニバンバスも満員で乗れなかった。

男性が少し行った先のゲートへ連れて行ってくれた。そこには警察の詰所があり、パスポートをチェックして、親身になってくれた。そして待つこと30分ほど、警官が「一人の日本人がミャワディまで行きたいみたいだが乗れないか」と訪ねてくれた。疲れたので結局8000チャットで乗ることにした。そこでゴネてもしょうがない。

日産のワンボックスは既に満員で、誰一人話していなかった。エアコンは切られて窓は閉められていたが、運転席と助手席の窓が開いていて風が入ってくる。車内は魚臭いし人間臭かった。

いくつもの料金所とチェックポイントがある。そして赤土の未舗装路が多かった。車は大きく揺れてあまり眠ることができない。

幸いにも隣の男性が降りたので三人席に四人座る事がなくなった。約2時間ほど走って、時間は3時になり、大きなドライブインで止まった。車内は赤土で埃まみれ。皆顔や手や脚を洗っていた。ミャワディまでは大型のエアコンバスに乗るのがベストだろう。

1時間ほど休憩していると、大型のバスが入って来た。韓国人らしき老夫婦が中国人と英語で話そうとしていたが全く通じていない。暇なのでそこへ割って入ると、今度は英語のできるミャンマー人が入って来た。大型バスの値段を聞くとヤンゴンから40000チャットだという。

ミャワディへ到着したのは午後7時だった。バスは国境の手前に止まり、取り敢えず宿を探した。二軒回ったが、一つは外国人が泊まれないし、一つは満室だという。ミャワディは人が多くて猥雑だった。自分の勘でタイへ行った方が良いと判断した。それが間違っていたのだ。

国境は午後8時までで、タイ側も8時までなのだが、30分の時差があるのでミャンマー時間で7:30までとなる。と、イミグレーションの係員から言われた。難なくスタンプを押してもらい、橋を渡った先がタイだ。

今まで陸路で川の橋で国境を越えて来たが、こんなに短い橋はなかった。川幅は約20メートルほど。橋の長さは約1キロも無い。タイ側のイミグレーションで手間取った。タイへ入国する際は電話番号か、宿の名前と住所がいる。適当に前回泊まった宿か、地図に載っている宿を書いておけば良い。フランス人や韓国人が並んで書き直してを繰り返していた。タイのイミグレ係員はユーモアがありすぎる。山口組の暴力団がタイ人の女性をスーツケースに入れて不法入国をしたのをニュースで見たらしい。

どちらの税関も何もチェックしない。そして、宿を探し食事しなければならない。取り敢えず国境を超えたところで、物売りの女性達のところへ腰を下ろし、チャットからバーツへ両替してもらった。タイなのだがモン族かカレン族らしく、皆陽気で冗談が大好きだ。今夜寝るところはないか尋ねると、太った女性を指差した。一緒に寝ろと言ってるらしい。「オーケー、フリー?」などと言うとゲラゲラ盛り上がっていた。

結局、イミグレの紙に記入したリゾートと言う名のモーテルで値段を聞くと500Bだと言う。100Bの宿があるからあっちに行け。と言われ、よくわからないまま戻ると爺さんがバイクタクシーに連れて行ってくれて乗れと言う。2キロ先にハッピーインというモーテルがあり、そこで値段を尋ねるとホットシャワー無しで400Bだと言う。そしてタクシー代が100Bだと言う。とにかく埃まみれの体を熱いシャワーで流したかったし、意思の疎通ができていなかった。仕方なくタクシーに300Bしか無い100Bを支払い、歩いてその宿を出た。ミャンマーとは違って大きな広い道路に店があまり密集していない。そこがタイがアメリカンだと思うところだ。

どうしようもない挫折感を味わいながら、取り敢えずこの広いメーソートの街を進むしか無いのでヒッチハイクしてみた。

バイクに二人乗りの若い女子が助けてくれた。更に2キロほど行くと高級なホテルがあり、クレジットカードで支払えるなら高くても良いと思った。そのブティックホテルは800Bだと言う。私の顔を見て、先に600Bのホテルがあると教えてくれた。彼女達に礼を言って、歩いてそちらへ向かった。

全く英語が喋れない受付の子がいて、どうやら600Bでダブルの部屋に泊まれるそうだ。もちろんクレジットカードで支払える。

IM Boutique Hotel

そのホテルはブティックホテルと言う名のラブホテルのようだった。安心して裸足で歩ける室内、ホットシャワー、エアコン、アメニティ、テレビ、キングサイズのベッド、バスタオル、フェイスタオル、冷蔵庫に無料のミネラルウォーター二本、ビニールが被せられたグラス、だが歯ブラシがなかった。2000円程でこのレベルなら文句は言えない。ヤンゴンの南京虫だらけで安心して眠れない安宿とは随分違う。

空腹で堪らなかったがホテルの近くには何もない。受付で尋ねるとセブンイレブンまで行かないと何も無いらしい。横に目をやるとカップ麺類やスナック菓子があるではないか。トムヤムラーメンとAJINOMOTOのお粥にお湯を入れて貰って部屋へ持って帰ってガッツいた。

そして真っ黒に煤けた服を洗濯して、シャワーを浴び裸で安心の真っ白なベッドに潜り込んだのは、10時頃だった。

イム・ブティックホテル

一泊600B

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