メーサリアンの無料キャンプ場

結露でシートがビショビショになっていた。朝の6時に目が覚めて辺りを散歩してみた。

この公園は人手で綺麗に保たれていて、大きな木が沢山ある。そして多くの木が枯れて落ち葉を落としていた。タイでも冬なのだ。

草刈りの設備がないらしく、全て燃やして新芽を出さないようにしているようだ。

枯れた竹を生えたまま燃やして灰になっているのを見つけた。まだ火がくすぶっているようだったので、棒でつついて空気を入れると次第に炎を上げた。そして、昨晩の花火のようなパンパンという音の正体がこれだとわかった。竹は節に閉ざされた空間を持つので、温められると中の空気が膨張して破裂する。

一回りして、また一眠りした。起きると10時ごろだったが、まだ寒くてパーカーを着て街の方へ歩いてみた。

この公園から200m街の方に北へ行く小さなバスターミナルがあり、ミニバンが停まっていた。メーホーソンまでの値段を聞いてみると、その日の2時出発のミニトラック(ソンテウだろう)が100Bで、明日の朝7時出発のミニバンが200Bだという。迷ったが、200キロの距離をソンテウは少々キツイ。なので明日の朝の便を予約した。

そのまま2キロ先の街へ行こうとすると、バイクタクシーのおじさんが50Bで連れて行くという。「いや、歩くよ」と言うと40Bに負けてくれたが、バイクタクシーで嫌な目にあったので断った。

長閑な住宅街を歩き、ヒッチハイクしてみるとバイクが乗せてくれて1キロほど先まで行けた。そこからは徐々に食堂や商店が増えてきて、豪華なゲストハウスやホテルも見つかった。

お洒落なゲストハウスに昨日乗せてくれた大型バイクの一台を見つけた。なるほど、ここに泊まったのか、そして一台でどこかへ行っているのだなと納得した。

どうやらこの辺りはタイ人がバカンスや避暑で楽しむところらしく、街は観光地の色が強かった。川沿いにレストランやバーバーや宿があるのだが、肝心の川が工事していてあまり美しくない。

更に中心へ歩くと、銀行や市場もあり、色んな店が立ち並んでいた。そしてセブンイレブンで袋ラーメンと牛乳を買って店の前で食べた。バンコクを思い出す味だ。

時折欧米人の年寄りや学生も見受けられたが、韓国人や中華系や日本人はいない。中々オススメの街なのだが知られていないのだろう。

大通りを戻りつつ、ヒッチハイクをしながら歩くと、ボロボロのバイクに乗ったおじさんが止まり、金を握っていたので、タクシーをしたいのだろうと思った。だが、金がないと言うと、渋々オッケーと乗せてくれた。しかし酒臭い非常に酒臭いし、なぜか尻をくっ付けろと言う。気持ち悪い。フラフラとして非常に危ない。金をもらいたいくらいだ。

バス停まで着くとダメ元でまた金を見せてきた。断ると、マイペンライと言ってフラフラと蚊のように去っていった。

そして12時近くなり、テントへ戻ってパンツ一枚で一眠りしたが暑くなってきた。3時ごろに暑さは頂点になり、シャワーを試みた。しかし水が死ぬほど冷たい。メーホーソンの瞑想センターの水も山水で冷たかったのを思い出した。しかし、次第に冷たさにも慣れてくる。髪は水洗いし、体を石鹸で洗い、牛乳で緩んだ腹を整えた。

そして更に眠るのだ。長閑で安心できるこのキャンプ場というか公園は最高だ。客はいない。掃除のオバちゃんが仕事をサボってボーッとしている。

疲れた体を癒すには最高のロケーションだ。そしてテントでゴロゴロし、時間は6時過ぎたので、晩飯に出かけた。

再び街への道を歩きながらヒッチハイクしてみる。バイクのおじさんが乗せてくれた。街の手前1キロほどまで来ることができ、手頃な食堂で40Bのカオパット(焼き飯)を食べた。

更に歩くとサーチライトと大音量の生演奏が聞こえてきたが、あまり上手ではない。そちらへ導かれるまま歩くと、どうやら音楽フェスが数日間あっており、出店で賑わっていた。歩道にゴザを敷いてテーブルを置いたソムタム屋や、麺屋。射的、BBQ、洋服、なんでもあるナイトマーケットになっていた。そして有料らしきライブ会場へはゲートがあり、迷彩の服を着た警備員が立っている。中を覗いてみると誰も居ない。その横には小さな観覧車や、子供用のトランポリンなど、ミニミニ遊園地がある。これはラオスでよく見たスタイルだ。そして10Bのソーセージを買って食べながらキャンプ場へ戻った。

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