メーホンソンから、ヴィパッサナー瞑想センターのワット・タム・ウアへ

2月1日

朝6時に起きて荷をまとめてバスターミナルに6時50分までに行かなければならない。

明け方は思ったより冷え込み、地元の人も凍えていた。ハイエースの余裕ある席に乗り込み、北へ北へと林道を進んでいく。乗客はほぼ若い女性なのは、車を持っていなくて、メーホンソンに行く目的によるのだろう。

外の気温が低いのにも関わらず、車内はエアコンが効いていた。皆ダウンジャケットやフードを頭に被っているのに、エアコンを切ろうとしないのは何故だろう。

後部座席のエアコンのスイッチを指差して、「寒くない?」とジェスチャーすると、ダウンジャケットを着込んだ女性が流暢な発音で「Do you want to close? 」と言った。

しかし、エアコンを切っても山頂部は寒い。暖房を入れて欲しいほどだ。メーホンソンの瞑想センターでの暮らしが心配になってきた。

10時にメーホンソンへのバスターミナルへ到着し、そのままワットタムウアへのバスチケットを100Bで購入した。出発の時刻は11時だ。急いで近くの食堂でシーフード炒め乗せご飯を食べ40B支払った。

あとで気がついたのだが、その食堂は2年前に来て同じメニューを食べたのを思い出した。

同じハイエースのミニバンで約45キロの道のりとなる。バス代がそんなに高くないのし、ヒッチハイクは時間がかかりかなり体力を消耗するのでバスを選んだ。

二年ぶりのワットタムウアへ着いたのは丁度12時だった。受付でパスポートを預けて、まず昼食を食べたか聞かれたので食べてないと言うと、残りの昼食をいただけた。そして、マットやブランケットや枕を渡され、白い服を選んでドミトリーへ導かれた。

ドミはどこでも選んで良いとのことだった。南京虫を恐れて1番奥の二階の部屋の奥に決めた。その日は新しく来た人が多く、30人以上がレクチャーに参加していた。そしてドミは8人いたが、隣との間はまだ余裕がある。

久しぶりの歩き瞑想は、心地よかったが移動で疲れていた。踏み固められた緩やかな山道をゆっくり列を成して歩いて行く。

ワットタムウアの男女比は、男4、女6といったところだ。アジア人が少なくなり9割は欧米人だ。

そして、ヤンゴンのマハシ瞑想センターで出会ったTさんの言う通り、リゾート化していた。

欧米人は芝生で寝転び、まるで公園かビーチのように過ごしている。彼らは教会の敷地でも寝転ぶのだろうか。案の定、次の日怒られていた。

「ここは仏教寺であってリゾート地やビーチではない。昨日はタイ人が多く訪れて写真を撮っていた。その光景をSNSで一瞬のうちに拡散されると寄付する人が減るのだ。この寺とあなたたちの食事は全てタイ人の寄付によって賄われている。決して庭では寝そべらないように。」

と、強く言われ、次の日からはチャラチャラした学園のような雰囲気は無くなったが、食事中に話で盛り上がっているのは耐え難い。

しかし前回ここへ私が訪れた際も、食事中に話していて学園気分だった事を反省させられた。今回は誰とも目を合わさず、会話も最小限に止める事に徹するとしよう。歩くとき、食べるときも瞑想を忘れずに行っている事を示すと、それを見た初心者は真似をするとマハシで覚えた。

学園生活やリゾートでの生活は他の場所でもできるが、瞑想センターでしかできない生活や態度を楽しんでもらいたい。僧侶の話を聞くとき、体操座りや、足の裏を仏像に向けたり、勝手に横になったりする人もいた。しかし彼らはマナーを知らないのだ。どうやってここでの生活を過ごせば良いかわからないから、リゾート地での過ごし方をしているだけなのだ。見本を示せば真似をするだろう。

夜のチャンティングが終わったあと、タバコを吸いに門の外へ行こうとし(タバコを吸うのもマナーが悪いのだが)、小腹が減ったので売店で何か食べようと思ったが、既に閉まっていた。タバコを吸う気が無くなって帰ろうとすると、短髪のオバさんが「タバコはどこで吸えるのか」と話しかけてきたので、考えた末、連れタバコをしようとしたが、伝わらなかったようだ。「あそこの門の外だよ、数百メートル先の。そうだ、一緒に行こう、腹が減って店に行ったら閉まっていてタバコを吸ってないし」。出身を聞くとスイスだというが、何か様子がおかしい。どうやら暗闇で人気がないのを怖がっているようだ。「誰かタバコ吸ってるかしら?」とか、立ち止まったりしていた。まあ、初めて会った怪しい日本人の男と暗闇の人気のない場所に行くのはとても勇気がいる。当然の反応だが、もう彼女とは話さないだろう。それ以来、私は目も合わさないようにしている。

2月2日

朝5時過ぎに起床、外はまだ真っ暗で1番冷え込む時間だ。毛布を羽織り、靴下を履いて外のトイレに行く。水はとても冷たい。

そのまま、毛布を羽織ってダンマホールと繋がった食堂まで行くと、すでに朝食の準備が始まっていた。僧侶たちの托鉢は6時半からで、私たちの食事は7時からだ。

間も無くすると、座布団を並べてご飯の入った器と蓮華を持って座り、歩いてくる僧侶たちに少しずつご飯を分け与える。神聖な行為なのだが、動物への餌やりにも見える。

そして我々の朝食となる。上座仏教は菜食ではないのだが、なぜか菜食料理で、ジャスミンライスと野菜と揚げの煮物と煮汁、小麦粉のスナック、唐辛子入りナンプラーまたは醤油。以上とシンプルだが不味くはないし、腹を満たすには十分だ。

嬉しいのが朝と夕方は、ネスカフェのコーヒーとココアが飲み放題ということ。他にも烏龍茶や生姜茶、メーホーソン茶などある。

8時からチャンティングという教本の朗読、座禅瞑想、歩き瞑想となる。このチャンティングがキリスト教ぽくもありイスラム教ぽくもある。

ワットタムウアでのヴィパッサナー瞑想方法は、全身をスキャンする。鼻から口、首、左肩、左肘、左手、右肩、右肘、右手、腰、左尻、左膝、左足、右尻、右膝、右足、そして戻っていく。その繰り返しで精神を集中し、余計な事を考えなくする。

欧米人の歩き方や座禅の態度が気になってしょうがないが、それも執着なのだろう。自分が少し経験数が多くなったと傲慢になっている事に気付く。ヴィパッサナー瞑想は自分を見つめ直して気づく事だ。そしてより良い人格に変えることが目標であり、良い人格になれば幸福になれるというプロセスであり、その通りだと思う。

今回は前回を反省して沈黙を貫くつもりだが、コミュニケーションを断つと本当に自分と向き合うしか無くなる。しかし体が会話を欲しているのがわかる。

全ての埃まみれ、汗まみれになった洗濯物をトイレにある大きなバケツに足を突っ込んで踏みながら洗う。ついでにトイレ掃除もする。トイレ掃除は皆嫌がってホウキで落ち葉を掃くのを楽しんでいる。自分にとって達成感や満足感、優越感を満たすのはトイレ掃除だと皆気づいていない。

しかしトイレ掃除をすると、掃除すらせずに座って本を読んでいる奴に腹が立つ。「自分は皆が嫌がる事を進んでしたのに、お前たちは本読みか!?」となるのは当たり前だが、それも傲慢になっている証拠だ。トイレ掃除は特別ではない。掃除も本人の自由意志なので、何をしても構わないのだ。瞑想も掃除もやりたい時に、やりたくなった時にやれば良くて、仏教的に強制はしていないのだ。

午後8時、夜の長いチャンティングと瞑想が終わり、敷地外にタバコを吸いに行った。レセプションでの説明では「タバコは吸ってもいいけど、門の外で、なるべく早くね」との事だ。敷地内でタバコを吸うと罰金2000Bの張り紙がしてある。

タバコを吸っていると、20代の若い男子が4人話しながらきた。もしやと思い、話しかけてみると、3人はフランス人で1人は香川出身の日本人だった。その日本人はフランスに何年か住んでいたこともあり、フランス語が分かると言っていた。フランス人2人と日本人1人で旅行しているらしい。彼らにはそれ以上の仲間は必要なかった。当然のようにグラインダーで大麻を粉々にし、先が太くラッパ状になったジョイントを回さずに各人が1人一本吸うフランススタイルだ。彼らは瞑想の後にフルムーンパーティに行くと言っていた。私も二口ほど

貰ったが十分だし彼らと吸うのはそれほど楽しくはなかった。分析すると、彼らには仲間はいるので会話の必要がない。他の人にあまり興味もない。自分たちで楽しめれば良い。確かに私も数人で旅行すれば同じようになるだろう。私は長居せずにもう寝ると言って去った。

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