前日に、イギリス人のアンディから御達しがあり、今日の朝8時半にライブラリーに集合と言われた。
どうやら、なにかの催し物がチェンマイ市内であり、それに50人くらいで参加するという事だ。
きれいな服装で、服はアイロンをかけて来るように言われたので、一丁らというか、ヘンリーネックの綿の白シャツと、細身のトラウザーにアイロンをかけた。
瞑想センターでの生活は、毎日判を押すような生活であり、ほとんど引きこもりで誰とも話さないので、出かけるとなると、多少興奮するような、面倒なような気分だった。
8時半にライブラリーという、共有スペース前に車が4台ほど停まっていて、外に皆集まっていた。
予定では、11時にホテルで昼食、そのあとどこかの催しに参加して、帰るのは夜7時頃だと言う。
日本人3人は、ショーンというアメリカ人のトヨタピックアップトラックに乗るように言われた。
車に乗り込むと、センターを去ったはずのロシア人アリーナがいるでは無いか。
彼女はタイ料理と、不自由なセンターでの生活が嫌だったので、チェンマイにとうとう移ったのだったが、チェンマイの宿で数日過ごして、ここの良さが分かったのだろう。
たしかに、寺の料理は伝統的なタイ家庭料理が多くて、洋食とくに小麦粉や牛乳を使った料理は皆無だ。
私たち日本人には抵抗無いのだが、欧米人には辛いと思われる。
酸っぱくて辛いスープや、苦い野菜、毎日朝も昼もタイ米。
楽しみのはずの食事が苦痛になるのは、本当に辛いものだ。
しかし、チェンマイでピザやバーガーが食べれるが、とにかく金がかかる。
タイ料理は安いのだが、ウエスタン料理はとても高いのだ。
そして、ドミトリーに100B以上支払うのはバカバカしく感じるだろう。
それほど、瞑想センターの生活は自由が無いものの、出費がほとんど無いのだから、ホステル生活していると、比べてしまうだろう。
とにかく、我々はチェンマイ中心に向かって走り出した。
ショーンは、タイ人の妻がいてチェンマイに住み、建築設計士をしているらしいことが、関西人H氏とショーンの会話でわかった。
しばらくナビのとおりに行くと、チェンマイ中心から10分ほどの、大きなリゾートホテルに到着した。
たしかに、タイ人を含めた欧米人50人ほどが集まっていて、みな正装のような白い服でまとまっていた。
エアコンの効いた、まるで結婚式のような会場で、丸い6人用のテーブルには中国のようなターンテーブルが置かれ、豪華な料理が並び、少し緊張した。
しかし、私を含めた3人分の席が無かったようで、私たちは立って待たされた。
その間に皆目の前で料理をさらに取り始め、食べ始めた。
私は、タイ人のテーブル案内されたのだが、年寄りが多くて皆んなほとんど料理を食べないのだ。
多分、日本と同じでホテルのかしこまった、ナフキンとペラペラじゃないスプーンとフォークで、ワイングラスに水を注がれるような、格式が高い場所で食事しても、緊張して味なんかわからないし、確かに寺の賄いの方が美味しかったが、美味しくなど感じたのだろう。
しかもタイ人だけではなく、日本人が1人いると、恥ずかしい食べ方はできないと思って食事が進まなかったのだろう。
とくに女性がほとんど食べなかったのは、恥ずかしかったからだと思われる。
私より食べていたのは、最年長のお爺さんだった。
料理は、タイでは珍しくアルデンテのパスタと少し甘めのトマトソース、鯉の竜田揚げ甘辛ソース和え、カリフラワーとキクラゲと野菜炒め餡掛け、揚げ春巻き、焼き飯、白ごはん、グリーンカレー、ココナッツカレーなど。
食後には、ビュッフェスタイルでケーキが何種類かと、コーヒー紅茶、フルーツがあり、カオソイセットもあったのを食べれなかったのは知らなかった。
リゾートホテルから場所を移り、チェンマイターペー門近くの講堂で、集会に参加した。
どうやら、我らがチョムトン寺院からお経をあげに高僧がその仏教式典に出るらしく、我々は取り巻きというか、お付きの生徒という事なのだ。
タイでは高僧によるチャンティング(お経をあげること)は、アーティストによる音楽ライブのような扱いになるようで、ファンが大勢集まり、有難いお経を聞いてお布施することで、幸せな人生を送れると信じられている。
なので、僧侶達は積極的に集会に赴いてチャンティングし、我々外国人も連れてくることで、グローバルにファンがいる事をアピールしていると思われる。
リゾートホテルでの高級料理の出費など、見返りに比べると大したことではないと思われる。
中でも、こういう式典に参加する日本人は珍しいらしく、親日であるタイにとっては嬉しい事のようだ。
思われる、ようだ、というのは、全て私の私見であり予想なので、真意はわからない。
およそ、数百人の白い服を着た在家の人々がこの会場に集まっていた。
入り口で名前を書き、コーヒー牛乳や、タイミルクティーや、ミネラルウォーターが配られ、たこ焼きのような出店も無料で配られ、駐車場にはカフェ、アイスクリームが売られていて、お祭り騒ぎだった。
何の法事か式典かはわからないが、チョムトン寺院では定期的に寺院内でも催しがあり、出店が出てお祭り騒ぎとなる。
先日のアジャントン(チョムトン寺院の最高指導者だった高僧であり、タイではかなり影響力があって有名)が生きていたら200歳の法事では、いくつもの出店がすべて無料で配られた。
その式典は、午後1時頃おわり、次の場所へ移る事となった。
50人ほどの大移動を乗用車や小型バスで行うのは大変だ。
次の場所は大きな寺院であり、ホールに並べられた椅子に座って、我らが指導者のクン・タナがお布施をその寺の一番偉いだろう僧侶にわたし、お礼にゴニョゴニョとありがたいお経をいただき、一緒に記念撮影をするという流れだ。
タイや上座仏教では、お坊さんや仏像が神様のように扱われているので、仏像のある部屋に入るときと出るときに礼拝を行うしきたりがある。
礼拝は、両手を胸で合わせて親指を額につけ、そのまま床にひれ伏す。という動作を三回行う。
これは、チベットや中国の大乗仏教でも同じであるが、大乗仏教ではひれ伏したときに手のひらを天に向けるところが違うだけで、あとは同じである。
部屋の向かいに、仏像とお坊さんがいれば、両方に礼拝を行うわけなので、計6回ひれ伏す事になる。
更にお経をいただくときも、ありがたやと三回礼拝したり、退出も入れると合計10回以上ひれ伏す事になるのだ。
そして、次の寺院へと皆車で移動した。
次の寺院は山手のチェンマイ大学や、チェンマイ動物園の近くにある寺院で、ホールは少々狭くて、椅子も無かったので皆座布団無しで床に正座である。
当然、周りの人と近くなるので、前に座っている人の汚れた足の裏とか見えてしまう。
クン・タナは、自慢げにその寺の長老に、皆どこの国か順に言わせてグローバルをアピールしていた。
ブラジル、チリ、ロシア、アメリカ、日本、イギリス、ドイツ、ベルギー、ポーランドなど、各国から集まっていていたが、中国人と韓国人は居なかった。
最後の寺の訪問が終わると、アリーナが私服に着替えていた。
どうやら、この式典のためだけに参加したようで、そのままチェンマイ市内に残るようだと悟った。
何とも言えない気分になった・・・というのも、彼女とは仲が良くてよく話してたのだが、ちょっとギクシャクしてしまってそのままだったからだ。
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