チュッパチャップス

Chupa Chups

目を覚ますとテーブルの中央にゾウのうんちが鎮座していた。
いま思えば、どうして俺はあれをゾウのうんちと認識できたのだろう。
俺はゾウのうんちがどんなだか知らなかった。
生まれてこのかたゾウのうんちを見たことがない。
でもそれは紛れもなくゾウのうんちだった。

とりあえず俺は椅子に腰掛け、マールボロに火をつけた。
ゾウのうんちは不思議と臭わなかったが、マールボロはいつもと同じ味がした。

ふと気付くとゾウのうんちの表面から、消化されていない干し草が数本飛び出していた。
俺は何の気なしに、そのうちの一本にライターで火をつけた。

するとそれは一瞬にしてボッという音とともに火に包まれ、俺は思わず手を引っ込めて目を瞑った。
椅子ごとひっくり返るかと思った。
恐る恐る目を開けるとゾウのウンチは消えていて、かわりに一匹のイモ虫がいた。
「正解っ!おまえやるなあ」イモ虫はいきなりそう言ってケラケラと笑ったが、俺は笑う気になれなかった。

そのまま黙って見つめていると突然ボッという音がして、イモ虫は一瞬にして綺麗な蝶へと変身した。
「潰されてポイッてされたら、かなわないからね。このほうが綺麗だろ?」
そう言って、またケラケラと笑った。
確かに綺麗だった。
俺はあれほど綺麗な蝶をそれまでも、それ以後も見たことがない。

蝶は羽ばたいてキッチンのシンクへと飛んで行き、昨夜から置いたままだったコップのふちにとまり、中に入っていた飲みかけのコーラへと口吻を伸ばし、再びテーブルの上に戻ってきて
「不味いな」と言った。
そして、テーブルの中央で綺麗な羽をゆっくりとパタパタさせながら
「おまえの願いをひとつだけ叶えてやるよ。なんでも言ってごらん」と言った。

俺は少し考えて「神と話をさせてくれ」と言ってみた。

「俺は神じゃない」

「分ってるよ。あんたは蝶だろ」

蝶は少し間をおいて

「それは無理だ。神はいない」

と言った。

「キリストは嘘をついたのか」

「どうかな。キリストは嘘をついてないかも知れない。でもキリストが死んだ後の誰かは嘘をついたのかもしれないね」

俺には蝶の言ってる意味が分らなかったが、それ以上は、その話題を続ける気にもなれず黙った。

「あまり時間がないんだ」

と蝶が言った。

俺はしばらく考えたが、いくら考えても願いは浮かんでこなかった。

「難しいな。願いをひとつ叶えてやるって、いきなりそう言われて即座に答えられるやつもいるんだろうけど、そういう人は凄いなって思うよ。俺なんて、すぐには思いつかないんだ」

「じゃあ、おまえ何が食べたい」

そう言われて目を閉じて、最初に思い浮かんだものを答えた。

「チュッパチャプス」

「OK!」

蝶は飛び立って、テーブルの上にある蛍光灯の真下でしばらく舞い続けていたが、突然姿を消した。

そのまま数分が経った。

窓を閉め切っているから風は感じない。

外は穏やかな晴れで、少し蒸し暑い。

ちょっと先にある踏切のカンカン音が小さく聞こえる。

今のは何だったんだろう、夢を見てるのかな。

そう思った瞬間、コンッと乾いた音がして、どこからか、テーブルの中央にチュッパチャプスが落ちてきた。

その日から俺はチュッパチャプスを食べられないでいる。

俺の鞄の中には今も、そのチュッパチャプスが入っている。

作:田中 伸一

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