夜行バスでチョムトンからバンコクへ

半年滞在していたチョムトンの瞑想センターを旅立つ時が来た。

その日は、チョムトン寺院のアジャントン長老の誕生日で3日間に及ぶ祭典があり、寺院内は食べ物が振る舞われ、多くの僧侶、軍人、警察官がタイ全土から訪れていて賑わっていた。

部屋を整理して荷物をまとめ、夕方6時発のバンコク行きのバスに乗り込んだ。

バスは二階建てで、私は二階の一番前の席を予約していたが、チョムトンでの乗車率は10%も無いようだった。

バスは南下して、バン・ワン・ルン・マイという小さな街で数人の客を乗せて、幹線道路から108号線から、106号線に抜けるために1103号線に入った。

1103号線は舗装が悪く、林道なので少し揺れるがそれほどでも無い。

日が沈んで辺りは暗くなってきた。エアコンが寒くなったので、与えられた薄いブランケットを膝にかけた。

半年間、ほとんど外に出ず部屋に篭っていたので移動は新鮮だった。

バス会社は、タイ語でuua みたいなロゴ。チョムトン寺院からチェンマイ方面に100メートルほど先の携帯電話ショップが代理店でバスチケットを予約できる。

チョムトンからバンコクまでのバスチケット代は、現在511バーツ(約1700円)。

バスのドライバーは運転が上手く、安心できる。

毎日、同じドライバーのようで、バンコクとチョムトンを行き来しているのだろう。

コロナパニックの影響はタイでも同じで、乗車率を見ると、数あるバス会社が潰れていくと思われる。

20年前のバンコクからスラータニへ行く、ツーリストバスは酷かった…

乗車率は100%で99%が欧米人。日本人は私と彼女の2人だけだった。

ボロボロのバスは一応エアコンが効いていたが、蚊がたくさん飛び回り、とにかく息苦しかった。

しかし、途中に立ち寄ったドライブインで地元のタイ人のおじさんに手招きされ、小部屋に入ると竹ボングを差し出されて、しこたまご馳走になったのを忘れられない。

その頃のコパンガンは、今とは違うだろう。

知り合いのロシア人や中国人がコパンガンを目指していて、フルムーンパーティーアイランドは、ロシア人や中国人だらけだと噂に聞いた。

あの頃のバスに比べると、今のタイのバスの快適なこと。

日本のバスと大差は無い。

県道らしき道路も舗装がされていて、揺れは少ない。

コロナ騒動で4月に帰るはずだったが、今回の旅は9ヶ月の滞在になってしまった。

バスは、106号線に突き当たり、チェンマイとバンコクを結ぶ1号線に向かっている。

3日間降り続いた雨はやっと止んだようで、乾燥した車内との温度差と外の湿度で窓の外が曇っている。

いったい東南アジアの雨季はいつ終わるのだろう。

はじめての東南アジアの雨季を体験したが、乾燥した冬より雨季の方が断然過ごしやすかった。

この辺りで1番暑いのは4月だということがわかった。

その暑さはもう殺人的であり、毎日40度を越す猛暑なのにエアコンは使えなかった。

毎日夜までシャツや腰巻きをビショビショに濡らして扇風機を体に当て、気化熱で体を冷やすしかなかった。

水掛け祭りのあたりはタイや東南アジアに訪れるのを絶対避けたい。

タイの雨季は、日本の夏より過ごしやすいと思う。

扇風機さえあれば快適に過ごせるのだ。

バスのディスプレイには、マトリックスの衣装をまとって日本刀を持った韓国SFXアクション映画がずっと流れている。

面白いんだか、面白く無いんだかわからない。

県境の検問が数カ所あるが、どれも素通りできているということは、コロナの影響はもう終わったということらしい。

2月3月は、メーホンソンとチェンマイの県境では熱心にパスポートチェックと体温チェックをしていた。

1号線に入って車線が増え、信号のない高速道路のような道路を時速約80キロで南下し、0時にバスは中間地点のドライブインに到着した。

35バーツで、目玉焼きとカオガパオを急いで食べ、一服してバスに乗り込んだ。

休憩時間は30分だが、前にベトナムとラオスの国境でのんびりメシを食べていると、バスに置いて行かれた経験があったので、ヒヤヒヤしながら急いで食べたりトイレに行く癖がついている。

バスでは、ペットボトルの水と、ブランケットと、休憩時間にはお菓子とコーヒーも配られた。

そしていつの間にかうっすらと眠っていた。

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