バジェットホステルの同室で出会ったシンガポール人の20代の女の子と意気投合し、博物館に一緒に行く事になった。
彼女は24歳、中華系で末っ子のバックパッカーで、真面目で健康的。オーストラリアのワーキングホリデーで資金を稼ぎ、東南アジアを旅行していた。彼女は赤い羽が付いたピアスをして待ち合わせに登場した。トップスは黒のキャミソール、レーヨンの象柄長パンツにサンダル、そしてなんと、ぼくも持っているナルゲン1リットルボトルの蛍光イエロー、それもアメリカの国立公園のロゴ入りを持っていた。更にハットはぼくの持っているハットと同じ型の色違いだった。ヨーロッパ人にその日聞いて判明したのだが、中国で見つけた大きなアウトドアショップ「デカスロン」は、フランスのブランドだったらしい。ずっと中華ブランドだと思っていた。彼女は見た目、真面目で頭が良さそうな、ぼくとは中々交わらない人種だと感じたし、彼女も感じただろう。一緒に行動した感じでは、すぐに帰りたくはなさそうだった。戦争博物館だったので、話した数は少ないものの、お互いがお互いのペースに合わせていたのだろう。夜は130円のフォーを食べに行って一緒に帰った。
サイゴン戦争博物館
不謹慎だが、お洒落なポスターやTシャツとして使える写真が数多くあり、新聞の写真を拡大しているようなので、画質が悪く、グランジ感が溢れたシルクスクリーン向けな仕上がりになっている。外にはベトナム戦争時に使用された、アメリカ軍の戦車や戦闘機などが展示されている。当時、ベトナム人はカメラを持っていなかったのか、アメリカ目線の写真しかないようだ。アメリカと戦った、日本の新聞やプロパガンダが面白い。「アメリカはベトナムから手を引け」トートバッグ。日本はアジアを守っていたのだなと、日本では全く知らなかった事が台湾やベトナムで痛感し、日本人としてではなく、外から見てカッコ良いと感じた。
その夜、お馴染みの冷やしフォー屋さんで食事をして、彼女のバスチケットを買いに代理店に寄って、ホステルに帰った。ホステルでは、台湾人の林から飯を食いに行こうと誘われていた。イギリス人と、ドイツ人のカップル、フランス人の青年と、ブイビエン通りのレストランで彼らはフォーに喰らいついていた。ぼくは、ストロベリーシェイクを注文した。大人数になると楽しいのだが、少人数の方がもっと楽しい。しかも、英語があまりわからない。日本語さえもよくわからない。宿のドミ部屋に帰ると、部屋は暗くなっていて、彼女が起きてぼくに借りていた充電器を返してくれた・・・
あとがき
博物館で、彼女が浮かない顔をしていた理由が今現在、日本に帰って来てこの記事を書いていて分かった。
てっきり、変なおじさんと一緒に歩いているのが嫌なのか、はたまたお腹でも痛かったのか、もしくはぼくの体臭がキツかったのかと、その時は浮かない顔をしていた彼女を心配していたのだが、ようやくその暗い表情の理由が分かった。
彼女は純粋で真面目な故に、ベトナム戦争の残酷で重い写真や兵器を見て気分が沈んだのだろう。ぼくとしては、広島の平和記念博物館よりは軽く感じたので、全く気分が沈まなかったことと、若くて可愛い娘と歩いているだけで、中学生のように緊張して何も頭に入ってこなかった・・・
今頃気づくなんて、我ながらなんて阿呆何だろう。
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