朝、目覚めると見知らぬ民家で眠っていたようだ。ここはカンボジアのカンポン・スバイという地区のBoeng Prey Prasという湖の近くで国道6号線沿いにある民家だった。カンボジアの田舎にしては結構大きな家のようで、高床式の階段を降りると作業員が敷地内に小屋を作っていた。
家の下にはアヒルの親子が走り回り、犬と鶏もいた。
旦那さんは朝早く出かけたようで、奥さんがニコニコしながら照れたような仕草で相手してくれたのが印象的だった。
ぼくは、泊めてくれた奥さんにお礼を言って、再びバイクに跨り、62号線を北上して行った・・・
約200キロの道のりを走ったわけだが、今この記事を書いているのは8月であり、半年以上前のことで、どんな景色だったか全く覚えていない。あまり変わらない景色と平坦な道のせいだろう。途中で213号線に入ったようだった。
行き当たりばったりお寺ホームステイ
そして、尻の皮がめくれ上がるような痛みで何度か休憩し、夕日が沈む前に国道沿いの小さな村に立ち寄って、食堂で何か食べ、店の主人に「この辺に宿はないか?」と聞いてみた。すると「宿は無いなあ・・・ああ、そうだ、前の寺に泊まればいい」と言われ、通りを挟んで店の向かいを見てみると、広い敷地に工事中の寺が見えた。
バイクでパゴダの敷地内に乗り入れると、オレンジ色の袈裟を着た小さなお坊さん達が集まってきた。
どうやら本堂は工事中なので、木造の小屋でみんな生活しているようだった。ぼくは小屋を指差して、顔の横で手を合わせて「ここで寝たい」と小坊主に伝えると、「ついてこい」と手招きしてくれた。高床の下の高さは2mほどであり、日光を避けるため、そこにバイクを停めて、小屋の階段を登ると、このパゴダの住職らしき老人がタバコを吸いながら、拙い英語で「ユースリープヒア?オーケーオーケー」と言ってくれた。まるで昔懐かしき猿岩石のユーラシア大陸ヒッチハイクのような展開に、自由度の高いバイク旅ならではの感動を感じた。
すでに日が暮れた小屋の中には裸電球に明かりが灯り、女性達が円を組んで何やら作業していた。全員、笑いながらチラチラ横目でこちらを見、外国人に興味ありげな仕草をしている女性陣に近づいてみると、タマリンドの実を手で種から剥がしているところだった。梅干しのようなタマリンドの実は手をグチョグチョにしてしまう。
タマリンド
料理の酸味料や食品添加物の増粘安定剤として用いられる他、ピクルス、シロップ、清涼飲料水に加工されるなど、利用範囲の非常に広い果実である。その他に甘みと酸味を楽しむために生食、ドライフルーツ、砂糖漬け、塩漬けなどに加工される。香りの主成分はフルフラール、2-アセチルフランなど。
種子の胚乳部分から抽出して得られたものから、食品添加物としての多糖類を主成分とする増粘安定剤のタマリンドガム(タマリンドシードガム)を製造する。
調味料として
酒石酸とクエン酸による強い酸味をもつ黒褐色の果肉が使われる。果肉だけを集めて固めた数百gのブロックか、浸出したエキスの形で売られるのが一般的である。ブロックのものは水に浸して、ペーストのようになったものを調理に用いる。インド料理では果肉を熱湯に溶かしてチャツネを作る他、サーンバールやラッサムの酸味づけに用いる。インドのマクドナルドでは、マクイムリーというタマリンドソースをつけてもらうことができる。
タイ料理のトムソムやフィリピン料理のシニガンの酸味づけにもタマリンドが欠かせない。イラク中部と南部ではドルマの酸味づけにタマリンドを用いることがある。
ベトナム料理の甘酸っぱいスープカインチュアの酸味づけにもタマリンドを用いる。
デザートとして
ラテンアメリカや東南アジアでは、タマリンドの果肉から清涼飲料水を作る。タマリンドの缶ジュースも市販されている。
東南アジアではジャムやソフトキャンディーに加工したり、砂糖漬け、塩漬けのおやつとしても売られる。ベトナムではクラッシュアイスと煎りピーナツを加えたダー・メ(Đá me:「氷タマリンド」の意)や、さらに練乳を加えたスア・ダー・メ(Sữa đá me:「ミルク氷タマリンド」の意)として飲む。
生食にはスイートタマリンドと呼ばれる種類の果実を樹上で成熟させ水分が20%以下にしたものを収穫して用いる。
そして、外国人の反応を楽しむための「お約束」である試食を勧められる。日本人だと梅干しを欧米人に食べさせて酸っぱい顔が見てみたいようなものだろう。
女性陣、若い娘もオバちゃんも目を輝かせて、外国人に注目している。
ここでは、役者顔負けのリアクションが期待されるので、通常の数倍の表情を作らなければならない。が、タマリンドの酸っぱさは、梅干しをはるかに超えて想像を絶するものだった・・・
味はインドのチャツネっぽい甘さがあるものの、苦さと酸っぱさは強烈だった。
そして、お約束のカンボジア語(クメール語)講座が始まった。まずは数字からだけど、全然覚えられない・・・
住職のお爺さんはぼくを気遣ってくれ、寝床や枕を用意してくれたり、不器用だけど深い優しさを感じてウルルンしてしまった・・・
そして沢山いる小坊主達、勝手な想像だが、親が居ない恵まれない子供達なのだろう。だけど元気に小さいくせにタバコとかふかしちゃって興味津々にピッタリくっついて来て可愛いすぎる。
ぼくは疲れすぎていて、先に敷いてくれたゴザに横たわって眠るのだった・・・
翌朝早く、小坊主達は小屋の掃除を始めたので目が覚めた。お供え物を持ってくる周辺の住民達。朝食を作る賄いの近所の女性達。皆、この孤児の施設のようなパゴダに楽しんでボランティアしているようだった。そこは今回の旅で一番シャンティで暖かい場所だったかもしれない。
あなたがカンボジアをヒッチハイクか、バイクで旅行するときは是非、パゴダで飛び込みステイするのをお勧めします。
ぼくは、旅立つ前にカバンの底にジャラジャラあったプノンペンの商店で無料で置いていたボールペンを小坊主に配った。
そして、せめてもの足しにといくらか寄付しようとして、小坊主にお金を渡してしまって「しまった」と気づいた。小坊主にとっては大金にびっくりして、「ぼ、ぼくにくれるの?」という顔になったが、咄嗟に取り返して、ちゃんと募金箱に入れた。期待させて悪かったかな・・・
皆が朝食を食べ終えた頃、ぼくにも朝食が回って来た。何を食べたのか覚えていないが、そこでは何でも美味かった気がする。
そして、荷物をまとめて世話になった小坊主達と住職に別れを告げ、クロン・スタング・トレンを目指すのだった!
ラオス国境に一番近い街、Krong Stung Treng クロン・スタング・トレン
64号線を南東に44キロ進むとメコン川にぶち当たり、日本製の大きな橋を渡るとスタングトレントいう大きな街に着いた。
ぼくは久しぶりのメコン川に心踊らせ、橋の脚に描かれたアートをパシャり。
しかしバイクの調子が悪く、何度キックしてもエンジンがかからなくなった・・・
30分ほど汗だくでキックしまくり、やっとエンジンがかかったのだが、いまいち音の調子が悪い。
そのまま、スタントレンの街をキョロキョロしながら彷徨っていると、腹の出たオッサンがスクーターで近づいて来て、「宿を探しているのか?一泊5ドルだ。着いてこい」と言われ、手頃な値段だったので着いていった。都会なら怪しさ満載なのだが、この片田舎の街なら大丈夫だろうと思っていると、中心地から3キロほど離れたところに、平屋の長屋の宿があった。見た目は綺麗だったので、何泊かすることにした。
そして宿の主人にバイクの調子が悪いというと、「ああ、これはギアが悪いな。俺も同じ型を持っていて故障したことがある。ヨシ、知り合いの修理屋に持っていってやるから待ってな」と言って任せてしまった。
宿には、若いインド人の奥さんと赤ちゃんが居て、しばし話し相手になってもらった。
「お前これ、オイルが全然入ってなかったぞ!!」と凄い剣幕で宿の主人が帰って来た。結局ギアの交換とオイル交換で45ドル取られてしまったが、宿の主人が10ドルはピンハネしているだろう。しかし、異音による心配はなくなった。
そして宿の親父は悪い人ではないのだろうが、何度も「オイルが入ってなかった」だの、「高く買った」だのと不快な思いをさせられた。中国系の移民ならではの思いやりのない対応だった。
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