ルアンナムター から北へ行くと、中国との国境の街磨憨(モーハン)がある。
ラオスでのノービザ期限である14日も過ぎようとしていたので、一旦中国へ入国することにした。
日本人は中国に入国する際、ビザ無しで14日間滞在できる。
できれば、雲南省の普洱(プーアル)→昆明(クンミン)→大理(ダーリ)と行ってみたい所がたくさんあったので、意気揚々と国境へ向けて走り出した。
ラオスから中国への磨憨国境に近くにつれ、ラオス内に中国の工場が所々にあり、看板も中国語が多くなってきた。
そしてラオス側のボーテン国境への道は工事中らしく、赤土の荒れた広い道路にトラックが何台も並んでいて、大陸の国境らしさを物語っていた。
そこへ小さな原付バイクで国境の建物のレーンに停めて、ラオス側の出国スタンプを容易にもらうことができた。
ラオス側の税関はバイクについて何も尋ねず、そのまま恐る恐るゲートをくぐり抜けた。
そして暫く荒れた赤土の中立地帯が1kmほど続き、本当にこの道で良いのだろうかと進んでいると、中国側の国境ゲートが見えてきた。
中国側は写真のようにいきなり滑らかなアスファルトに変わり、国境の建物も未来へタイムスリップしたかのように近代的だった。
しかしゲート前のレーン手前でライフルを持って迷彩服を着た警官か、税関か、軍人5、6人に停められ、有無を言わずに建物外のテーブルで所持品検査をさせられた。
彼らの目的は大量の現金、麻薬、武器、爆薬の摘発と思われる。無事に検査を通り抜け、ゲート手前の駐輪スペースにバイクを停め、入国のスタンプをもらうために建物へ入っていった。
しかし、さすが文明大国中国の徹底した管理は、カンボジアやベトナムやラオスやタイとは桁外れにちゃんとしていたのだ。まず、日本のように入管へのゲート前に柵がしてあって、一旦通ると戻れないようになっている。
ということは、大型車両でのゲートは別にあって、普通車は建物のゲートを通過するために並んでいる。それはタイでも同じなのだが、中国の方が断然徹底していた。ライフルを持って迷彩服を着た係員がいることで、バイクでの入国は無理なんじゃないかと思い、入管に尋ねた所、どうもわからないようだ。
そしてたらい回しが始まった。
「あっちの○番の窓口で聞いてみてくれ」そして窓口へいってみると「税関の事務所で聞いてみてくれ」税関の窓口へ尋ねると「○番の窓口へいってくれ」という具合に同じところに行かされる。
結局バイクでの日本人の入国はイレギュラーなケースなので、誰もわからないようだった。
そうこうしていると、担当者らしき係員が頭ごなしに「ダメだ!」と言う訳ではなく、「うーん、どうやらダメみたいだねえ」と思いやりのある態度で接してきたので諦めて、ゲート手前に駐車して入国することにした。およそ2時間は行ったり来たりしていたようだ。
そして、バイクを雨の当たらない日陰の人目につかない場所に停めさせてもらい、半分の荷物をバイクに乗せたまま中国へ入国することにした。何年か前に、このモーハン国境はバスで通ったことがあり、その時はルアンプラバンから昆明へ行く長距離だった。
そして全く同じゲートの出口を思い出したのだ。出口には免税店があり、外に出ると両替のおばちゃんが寄ってくる。変わらない様子だ。違うのは、そこから歩いてバスターミナルへ行かなければならない。
磨憨(モーハン)の国境出口の街は軒を連ねて、数階建ての飯店(ホテル)や安宿、食堂、土産物屋も多くある。そしてバイクがなければバス・・・ではなく、ヒッチハイクだ。
国境へ人を送って帰りしなの通り過ぎる車に向かって親指を立てて、「乗せてくれ」アピールをすると、以外にも1時間も経たずに乗せてくれた。全く覚えていないのだが、乗用車のおじさんは景洪(ジンホン)というところまで乗せていってくれるという。
景洪(ジンホン=Jing Hong)は西双版納(シーシャンバンナ=Xishuangbanna)泰族自治州(タイ族の自治区)という街であり、モーハンから180km。そのもっと北に普洱(プーアル)そして昆明(クンミンは雲南で一番大きな街)がある。
日本人のフーテン風の旅人を乗せてくれた乗用車は、滑らかに整備された林道ではなく橋やトンネルを直進できる高速道路を走り、約1時間ほどで目的地の景洪に着いた。
街の入り口で降ろしてもらい、白い象の像や街灯が立ち並ぶ入り口を奥へと進むと、まるで田舎から上京してきた学生のようにキョロキョロしながら、大きなビルや街並みの賑やかさに度肝を抜かれた。
「こりゃあ、小さな街だとナメてたら、とんでもねえ都会だ!」と開いた口が塞がらなかった。
それもそのはず、中国は人口が多いので、タイ族自治州でも漢族が観光地化してしまい、豪華なホテルと土産物屋で巨大なマーケットとなっているのだ。
そして、何よりも中国的なデザインの建物は少なく、東南アジアを意識した上座仏教的なデザインの建築物やエクステリアや装飾が飾られて、まるでディズニーランドのようだった。
ところが、中国ではWi-Fiに繋げることができても、Googleやその他大事な検索ツールが規制によって見ることができない・・・ので、宿を探すのに歩き回ることになった。
こういう場合は、野生の勘とも言うべき自分の今までの経験と統計に基づいて、匂いを嗅ぎ分ける力を信じる技を私は身につけていた。中国では、大抵大きなホテルの周りには小さなホテルがあり、裏通りのようなところに多く安宿がある。大きなビルの方角さえ掴めば、その裏あたりに安宿街があるのだ。
そして見事、まるで温泉宿のようなリゾートコテージのブロックを通り、何十回建てかの高層ホテルを横切ると、裏路地に5階建ほどの連れ込み宿、またはビジネスホテルを見つけた。
景洪浩源賓館
商売敵が多い中国では、外の看板に大きく値段も書いてある。そして99元(約1,500円)の個室を見つけた。中国の個室の安宿の相場は99元なのだ。ツインの部屋が多いので、2人でシェアすると安い。しかし田舎に行くほど同じ値段なのに質が悪くなるのは当然だろう。上海や北京では窓がないものの、かなりお洒落で質の高い宿に泊まることができる。
この飛び込みで入った雑居ビルの宿は、パスポートと前金を払えば部屋の鍵をくれる。パスポートは預けなければいけない場合もある。中国では外国人お断りの宿も多くある。それは外国人はユースホステルにしか泊まれないという法律があるからだ。しかし、どう見てもこの宿は外国人用ではない・・・
なにはともあれ、荷物を部屋に置き、ホットシャワーで一風呂浴びて、街に繰り出してみた。街は路地路地にナイトマーケットが並び、活気に満ち溢れていた。
プーアルが近いところから、お茶屋さんが多く、伝統的で高級な雰囲気を醸し出している。その一つの茶店を覗くと、正装をした若旦那が近所の友達と茶を交わしていた。その若旦那がこちらを見て、もの目皿叱ったのだろう、手招きして店に入れてくれた。
店内は明るく、テーブルには飲茶セットと言うべき湯沸かし器と、ガラスの急須、竹の蒸篭でできた排水システムを見ると、成都の空港で見たものを思い出した。
手際よく適温に湧いた湯を全ての猪口に注ぎ、温めて殺菌清掃する。そして急須に茶葉を入れ、一旦注いだ最初の湯を茶葉の洗いに使って捨てる。
そして、少しずつ小さな猪口に入れていき、客が一口で飲んだら、主人は更に茶を注ぎ、永遠と繰り返す。私は酒の席より品がある茶の席の方が断然好きだ。「腹が減った。どこかに安い飯屋はないか」と若旦那に尋ねると、「ヨウヨウ」と彼の友達に案内するように言ってくれた。
そして、ワンタンか水餃子の屋台で台湾ぶりの中国料理にありつけたのだった。
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