朝4時ごろ目が覚めて、喫煙と放尿をしに起きる。
外はまだ真っ暗で、長期滞在のサッカー選手であるフレンドリーなエジプト人が、外をウロウロしていた。宿の周りの家の軒先では既に料理が始まり、揚げ物の匂いとパクチーの匂いと、焼き魚の匂いが立ち込めていた。
この集落である古びたカビだらけのアパートが、自分が子供だった頃の懐かしき日本の昭和時代を思い出して気に入っている。
暇なので近所をウロつくと、既に街は活気が出てきて、朝市が始まっていた。イスラム料理店のとなりにワッフル屋があって、25バーツでコーンが入ったワッフルを衝動買いしてしまった。それを食べながら日本では味わえなくなった、古き良き下町の雰囲気をオカズにブラブラしていると、野良犬や野良猫になったような自由さを感じることができる。
宿に戻り、一服しながらフリーのネスカフェを淹れて、宿の表でゆっくりと飲む。そしてベッドに戻って二度寝しようとするが、寝たのか寝てないのかわからない。
朝9時、チャイナタウンの生地屋目がけて出かけることにした。頭にはタイやカンボジアでお馴染みのパーカオマー(Phâa Khãa Máa)を巻き、ラオスのバンビエンタンクトップにアフリカン柄の長袖シャツ、Decathlon のショートパンツという出で立ち。スーパーリッチで両替するように現金20ドルと、ラオスチャット、200元を財布に入れて、まずはスクンビット中心地へ向かって出かけた。ところがこのスクンビットはとてつもなく広くて、宿の前の道もスクンビット通りだが、中心地まではエアポートラインという列車で行くほど遠い。
何時間歩いただろうか、ビルの日陰を探して通りつつ、バイク関連の店ばかりで面白くないし暑い。だが、車や電車ではスルーしてしまう景色や光景を見ることができる。気に入ったのは、この都会を流れる川である。色は濃いグレーとカフェオレ色の中間で、匂いは少し下水臭いが、耐えれなくはない。韓国の道路や家の排水口の方がよほど臭い。その川に大量に注ぎ込まれる大きな配管からの水。その川の橋の下のほとりで寝ているおじさん。思わず写真に撮ってしまった。
更に歩くこと数キロ、まだ11時だが、途中にあった食堂でメシを入れることにした。銀のトレイに並べられたオカズ類から、何かのミンチのそぼろと、タケノコの煮物的な物を選ぶと、ご飯に乗せる形のスタイルで、ご飯は中々の大盛りで嬉しい。いくらか尋ねると奥から若旦那が出てきて、説明してくれた。35バーツでご飯と二種類のオカズが選べるそうだ。35バーツというと約126円。外を眺めれる一番外側の席に座り、疲れ果ててボーっとしながら、スプーンで料理を口に運び続けた。やや薄味なので、テーブルにある赤と緑の唐辛子が浮かんだナンプラーを小さなオタマでかけた。その小さなオタマを戻す時に飛び散った液体が目の中に入った。これは大変。目が開かない。これを見られていたらさぞ可笑しいだろうと思いながら、全然目が開かない。やっと目が開いて食べ始めることができた。ソボロは何の肉だろう、魚か鳥かもわからない。タケノコも同じような味付けだったが、値段の割に美味しかった。若旦那はサービスで春雨と野菜の炒め物を小鉢に入れてくれた。タイの食堂で一番嬉しいのは、筒状の氷が入ったステンレスのカップを渡され、ボトルに入った無料の水を何杯でも注ぐことができる事だ。
昼に近くなるにつれ、近所の人が入ってきた。皆奥のテーブルに外と反対側を向いて座る。何故かと不思議に思っていたら、奥にあるテレビで映画を観ているのだ。表を向いてる者は誰もいない。
やっとT字路に辿り着いた。そこからBTSに乗って、スクンビット中心地へ向かう。どの駅で降りたのか忘れたが、ビル群が建ち並び、高級ホテルやショッピングモールがある、ターバンを巻いてサンダルを履いた、中近東のテロリストのような出で立ちの自分には場違いな雰囲気になってきた。
足の疲れは限界になり、マクドナルドで値段をチェックするが、今の懐には厳しすぎる。グランドハイアットのソファで暫し休憩し、ヘロヘロな足どりで近くのバス停に着き、サングラスをしたおじさんに、チャイナタウンに行きたいと英語で伝えると、なかなか流暢な英語で別のバス停とバスの番号を教えてくれた。彼はバンコク全てのバス路線を把握しているように思えた。言われた通りに歩くと、バス停があり、もう一度バス待ちしていた女性に尋ねると同じ番号を言ったので、おじさんとバンコク人の株は更に上がった。さすが、大都会バンコクでは誰に聞いても英語が通じるのだ。暫くすると乗るべきバスが到着し、その女性は添乗員に目的地を告げてくれた。とても親切。タイの都会の人は冷たくない。外国人に対してだけだが。綺麗な若い添乗員は右も左も分からない外国人である私に、微笑みながら優しく対応してくれて、「着いたら教えてね」と言うと、快諾してくれた。台湾の南では添乗員は居なくて、運転手は気難しい無愛想なオバちゃんから意地悪された、いや、当然だが教えてくれなかった。日本でも外国人には降りるべきバス停でワンマンの運転手がスピーカーからの拡声器で外国人に教えていたことを見たことがある。それは、パフォーマンスであり、同乗している客も見ていて心が和む瞬間なのだ。その美しいバスの添乗員も、同じタイ人には無愛想で目も合わさず、冷たく切符を切っていた。さすが、微笑みの国タイ王国。
疲れ果てていた私はバスの心地よい揺れにウツラウツラとしている自分に微笑ましい視線を感じながら、安心して寝ていた。そしてチャイナタウン手前で、知らない女性からの「チャイナタウンに着いたわよ」という呼びかけで目が覚めた。寝ぼけて朦朧としながら、あなた誰?と思いつつ、意識が戻ってきた。数分だが睡眠がとれてかなりスッキリした。添乗員と女性にお礼を言い、バスを降りる際に手を振ると、手を振り返してくれた。まるで「はじめてのおつかい」のように。
とにかく赤いチャイナタウン。中々の長さがあるその道の歩道には、包子や雑貨や色んな出店が並んでいる。観光客が多く車も多い。セブンイレブンで炭酸水を買い、レジ袋をもらい、レジ袋に炭酸飲料用の氷を貰って良いか尋ねると、レジの女の子は店主に聞いて、だいたい店主はオッケーと言う。ストローも貰い、アイスサーバーの氷をレジ袋に入れ、炭酸水全部入れると、冷たいままの飲み物ができあがる。失敗したのはタイの9パーツの炭酸水は炭酸が弱く、すぐに苦い水になった事だ。やはりコカコーラがベスト。
出店のオバちゃんにチャイナワールドはどこか尋ねると、真っ直ぐだと言う。だが、繁華街を抜けてもチャイナワールドは見当たらない。そこでマップにブックマークしているのを忘れていた。オフラインで使うのはMapsMeというアプリ。マップの通り真っ直ぐ行くと、観光地ではない市場が並ぶ下町に出た。その辺りはインド人が多く、生地屋や手芸屋が立ち並んでいて、その中にチャイナワールドというショッピングモールがあった。中に入ると、エスカレーターがあり、在タイ日本人のブログの通り、二階に多くの生地屋が密集している。その中で、メッシュの目の細かいポリエステルの生地を見つけた。幅1.5メートルで1メートル25バーツらしく、5メートルの黒い生地を買った。125バーツ支払い、縫製屋を探さなければならない。狭くて永遠と続く市場を歩くが見当たらない。時間は17時になろうとしていた。一日中歩き回って限界を感じ、バスで帰ろうとバス停を探した。バス停には人が多くいて、地図アプリでは宿が遠すぎて機能しない。バス停にいた若いコに尋ねると、スマホで宿の名前を検索して、タイ製乗換案内アプリで探してくれ、サッサと立ち去っていった。教えられた番号のバスを待つのだが全く来ない。別の人に聞くのだが、地下鉄やMRTを使えという。バス待ちの40歳の女性に尋ねると対応良くしてくれ、色々と話し込んでしまった。結局、近くの地下鉄の駅に入り、スクンビット近くの乗換駅まで33バーツで行き、そこからエアポートラインに乗り換え、次の駅で目的の駅に着くことができた。
時間は19時で、晩飯を買いにそのまま夜市へ向かい、ライスとオレンジ色のカレーと、バジルとミンチの炒め物、計57バーツを買って帰り、クタクタのまま宿で食べることに。オレンジ色のカレーは、大根かと思いきや、パイナップルでとても甘く、赤唐辛子がとても辛く、あまり美味しくない。ミンチの方は見た目通り美味しい。やはりタイカレーは苦手のようだ。簡単にシャワーを浴びて、汗と排気ガスにまみれた服を洗濯し、やっと落ち着けることができた。宿に19歳のドイツ人の男の子がやってきた。彼としばらく話し、その後も見慣れない靴が外にあるのに気がついた。KEENのサンダルを真似たデザインの女性用を見つけ、ついに女性が来たかと期待し眠りについた。
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