謎の高熱と頭痛と節々の痛み

朝食は朝の6時半からで、かなり離れた棟まで歩く事になる。フラフラしながらブランケットを纏い、椀に注がれた太い米の麺と、フィッシュボール、鶏挽肉、ニンニク、モヤシ、MSGの甘いスープを口に入れる。何か食べないと更に動けなくなるから無理やり食べた。そして部屋に戻って寝る。昨日の尼さんから教えを乞う為に小さなホールへ行くと、ウォーキングメディテーション(歩きの瞑想)を伝授してもらえた。彼女はまるで修道院の厳しく欲求不満な年増のように、自分の思い通りにならない私に声を大きくしていった。この寺院では「歩きの瞑想」を主に教えているようで、まず立っている状態の時に「立っている、立っている、立っている」と三回唱える。次に歩き出し始める前に「歩き始める、歩き始める、歩き始める」と三回、そして右足からゆっくりと動きと同時に「右ステップ」「左ステップ」と唱えながら、小さな歩幅でゆっくりと歩く。もっと細かく、「右足が地面から離れる」「動く」「地面に降りる」と、一連の動作を全て頭の中で唱える事で自分の行動を認識して、見つめ直すのが目的のようだ。食事をするときも、「スプーンですくって口に入れる」「噛んでいる」「噛んでいる」と、ゆっくり唱えながら食事する。座っての瞑想では、腹の動きを意識して、呼吸によって上下する動きに合わせて「吸って膨らむ」「吐いてしぼむ」と言う具合に動きを認識していく。組んでいる脚が痛くなってきたら「痛い」「痛い」「痛い」と、痛みが意識の外へ出るまで唱える。至らない考えが溢れてきたら、「考えている」「考えている」と考えることを止めるまで唱える。たしかにこれは合理的で簡単に何も考えなくなれ、自分を見つめる事が出来る方法であり、素晴らしいマインドフルネスの瞑想だ。

しかし、病気の痛みを止めたり治したりする事はできない。痛みを和らげる事は少しは出来るが、組んだ脚の痛み程度のものだろう。

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